秋芳洞に関する主な出来事

 

天正9(1354) 秋吉、自住寺開山寿円禅師が滝穴(秋芳洞)にこもり、雨乞修法成就して、龍が淵にて入寂した。

享保14(1725) 地下上申にて「滝穴32景あり」と記されている。

天保14(1843) 萩医学館本草学出精の者美祢郡秋吉広谷の鍾乳石の採集に出張。

弘化年間(1844-1847) 防長風土注進案の美祢宰判に滝穴の記述あり。

文久2(1862)  美祢郡細見絵図成る。滝穴32景の記述あり。

明治40(1907) エドワード・ガントレット、中目覚氏が梅原文次郎の依頼で、滝穴を学術調査する。

明治42(1909) エドワード・ガントレットの滝穴紹介文が英国の雑誌にのる。

梅原文次郎が滝穴開窟式を主催する。                                                              

大正8(1919)  滝穴の天然記念物調査が行なわれた。

大正l1(1922) 滝穴が天然記念物に指定された。同時に滝穴の管理は秋吉村に移った。

大正14(1925) 滝穴に電灯の施設が許可された。

大正15(I926) 昭和天皇(当時皇太子)が滝穴に行啓された。洞名が滝穴から秋芳洞に改められた。

昭和2(1927)  岩根又重氏の「天下の奇勝秋芳洞」が刊行された。

昭和5(1930)  岩根又重氏の「秋芳洞の概要」が山口県より発行された。

昭和15(1940)  浜田清吉氏の「秋吉台の研究」が出版された。

昭和24(I949)  今上天皇(当時皇太子)が秋芳洞に行啓された。

昭和26(1952)  長淵に桟橋ができ、渡舟が廃止された。

昭和27(1952)  秋芳洞が特別天然記念物に指定された。

昭和30(1955)  エレベーターが完成。

昭和31(1956) フランスのコアフェ博士を迎え、日仏合同で秋芳洞調査が行われた。

昭和34(1959)  バーリン氏、コウモリ調査のため秋芳洞を訪れる。

           秋吉台科学博物館が創立される。

昭和37(1962)  秋芳洞琴ヶ淵の潜水調査が行われた。太田正道氏らが潜水した。山口ケイビングクラブが創立された。秋吉台科学博物館と山口大学地理研究室の共同で、秋芳洞の精密測量が始まった。

昭和38(1963)  黒谷支洞のトンネルが完成した。昭和天皇が秋芳洞に御幸された。

昭和39(1964)  秋吉台が特別天然記念物に指定された。

昭和47(1972)  もぐらケイビングクラブが琴ヶ淵を潜水し、玉串第一洞を発見した。

昭和48(1973) 中国四国農政局により地下水調査が始まり、秋芳洞の一番上流は赤郷の碇の白魚洞の吸い込みである事が、トレーサーにより再確認された。

昭和49(1974)  もぐらケイビングクラブが琴ヶ淵奥で、玉串第二洞を発見した。

昭和50(1975)  日本洞窟学会設立総会が、秋吉台科学博物館で行われた。

昭和60(1985)  西日本洞窟潜水研究会が琴ヶ淵奥で第3新洞を発見した。

昭和62(1987) 九州大学水質研究グループによって、エレベーター下で新支洞が発見された。また、西日本潜水研究会が琴ヶ淵奥で新洞(4と第5新洞)を発見した。さらに、「秋芳洞を調べる会」が発足した。

平成元年(1989)  秋吉台科学博物館が創立30周年を迎えた。これを記念して、秋芳洞を中心として「秋吉台ケイブフェスティバル1989」が開催された。

平成2(1990)  秋芳洞を調べる会が会報第1号を発刊した。

平成4(1992)  西日本洞窟潜水研究会が琴ヶ淵奥で、第6、第7新洞を発見した。

平成5(1993)  皇太子殿下が秋芳洞を行啓される。また、イギリスの潜水探検隊が第7新洞まで探検した。

平成6(1994)  秋芳洞須弥山で、藤井厚志氏がガントレット支洞を発見した。この支洞の入口は水没していて、水抜きをすると全長100mの洞窟となり、矢ノ穴からの排水が確認された。水抜きの時、「ガントレットさんの鼓」と呼ばれる妙な音が出る。秋芳洞第7新洞と地表がつながった竪穴を探すために「CAVE88PROJECT」が設立された

平成7(1995)  秋芳洞で汚水流入に伴う緊急影響調査が行われた。

平成8(1996)  日本洞窟学会総会および’96ケイビングミーティング秋吉が開催された。秋芳洞付近の地下水系の調査が行われた。

平成10(1998) 西日本洞窟潜水研究会が、琴ヶ淵奥の水中洞窟で、南の方向に延びる清河新洞を発見した。

平成11(1999)  秋芳洞の一番奥の第7新洞と美東町鳶ノ巣奥にある葛ヶ穴とがつながっている事が発見され、秋芳洞の全長は8700mに達した。

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