T.はじめに

秋吉台は我国を代表するカルスト地域で、その地下には430にも達する石灰洞が確認され、日本最大の洞窟群域として広く知られている。とくに秋芳洞は、我国最大の規模を持つ巨洞で、年間150万もの観光客が訪れ、代表的観光地でもある。

これらの秋吉台の洞窟は長年にわるケイビング活動によって発見されてきたもので、その活動は年々活発になってきている。とくに秋吉台科学博物舘が開館した1959年以後、ケイバーの組織化が進み、探検成果が飛躍的に上げられてきている。この時期に、秋吉台を代表する洞窟である鷹ヶ穴、寺山の穴、入見穴見戸の穴などの新洞窟も続々と見っかってきた。最近ではケイブダイビングの分野でも西日本洞窟潜水研究会を中心としたグル−プが活発な活動を行ない新しい水中鍾乳洞の発見も続いている。

一方、洞窟学においても大幅な進歩があり、洞窟生物、哺乳動物化石、地形などの分野の外、洞窟戚因論に関する研究、洞窟化学、年代測定、洞内鉱物、洞内気象、微生物などさまざまな専門分野からのアプローチが試みられるようになり、多くの新知見が得られてきた。

このように、秋吉台はケイビングと洞窟学の両域において日本を代表するフィールドであり、そ活動成果は今後ともより一層重要性を増してゆくことは間違いない。ここでは秋吉台の代表的な洞窟を主体としてまとめたもので、その概要をまとめています。

また、本書の洞窟記載と洞窟測図は山口大学洞穴研究会、帰水会、洞窟学研究会、西日本洞窟潜水研究会、秋吉台科学博物館などが測量したものの中から引用し、各位に深く感謝いたします。

 

U.洞窟の記載

1秋芳洞 Akiyoshi-doReg.1

 秋芳町広谷の袋谷の奥に、高さ約50mの石灰岩壁の下に開口する。洞口の高さ20.4m、幅8.1m、入洞できる延長約2,500mの水平洞である。秋芳洞はわが国で最も大きい観光洞として、古くから有名であり、本洞に関しては詳しい研究が行われている。

 秋芳洞の探究史については大庭晴雨が「秋芳町史」に詳しく記述しており、「山口県文化財概要第三集」や「秋吉台の洞窟探検」にも詳しく述べられている。

秋芳洞は1922(大正11年)38日に天然記念物に指定されたが、それ以後、洞内の観光設備も次第に整備されてきた。1925729日に電燈の施設が許可された。1926年皇太子殿下が530日に本洞を探勝された結果、秋芳洞と命名され、93日にそれまで瀧穴とよばれていたものが秋芳洞と改められた。19513月には長淵に棧橋が開設され、それまで波舟を使用していたものが廃止された。1952329日には秋芳洞が特別天然記念物に指定された。本邦で石灰洞としては唯一の特別天然記念物である。

1955121日に秋芳洞と秋吉台上を結ぶエレベーターが開設した。1963年黒谷支洞が開発され、トンネルにより歩いて台上の矢の穴ドリーネに出られるようになった。秋芳洞の洞内の名勝についての記載は、佐藤傳蔵(1928)の「天然記念物調査報告」として初めて詳しく記載され、その後、岩根又重による「天下の奇勝秋芳洞の槻要」(1927)及び「秋芳洞の概要」(1930)が山口県より発行された。これらは何れも石灰生成物の主要なものが名勝として説明されているものである。

秋芳洞の形態と地質構造との関係や、洞内の自然環境、生物について詳しくまとめて述べられたものとしては太田正道、庫本正による「秋吉台・秋芳洞」(1963)がある。そのほか秋吉台科学博物館発行の「秋吉台の自然」などにも秋芳洞について述べられている。

 秋芳洞には石灰生成物の種類も多く、ノッチその他の溶食微形態も種々あり、また段丘や砂礫・粘土の堆積物もあり、洞窟学的に興味深い洞窟で、学術的価値は高い。

 とくに最近、西日本洞窟潜水研究会や山口大学洞穴研究会の探検により、最奥部琴ヶ淵から葛ヶ穴に連結する水中鍾乳洞が発見され、秋芳洞の発達史を探るための新知見が多く得られている。(戻る

 

2大正洞 Taisho-doReg.2

 大正洞は佐山ポリエの西、犬ヶ森の谷の奥に開口する。洞窟の形態は竪横の複合洞である。古くは洞口付近の牛隠しと呼ばれている広間付近までが知られていたが、1921年(大正10年)1月に、現在、地獄、極楽、高天原などと呼ばれている大きい洞窟が発見され、翌19223月天然記念物に指定された。発見のいきさつについては「秋吉台の洞窟探検」に述べられている。

 本洞には1956年(昭和31年)11月に照明施設が完成し、また観光客の増加に伴い混雑をさけるため上層の極楽の北西部より直接外界に出るトンネルが1970年(昭和45年)に設けられた。大正洞は上層、中層、下層よりなる立体的な複合洞である。洞口は標高159mで、北面し、これを入った西方に中層の一部である牛隠しの小広間がある。中層は迷路状の通路よりなり、洞口より東に入れば地獄と呼ばれる下層への竪穴のある部分となる。牛隠しより狭い通路を約50m行くと極楽に出る。これが大正洞の上層の洞窟で、標高170180mを示し、北西一南東に約150m、最大幅20mの水平洞である。この部分には洞窟生成物がよく発達し、扁平状の石筍とケイブパールのある。蓮池は最も有名である。下層は地獄と呼ばれる標高160120mの部分で、最深部には地下水がある。下位の洞窟では飽和水帯の中でできた溶食形態が見られ、鍾乳石、石筍等の洞窟生成物はほとんどない。

 大正洞の東南方約200mには、犬ヶ森ポノール(犬ヶ森の穴)があり、この付近から大正洞までの間は落石も多く、通路のそばには小さい洞窟や、溶食の跡も見られる。また大正洞側の山麓にはカレントマークーの穴(Reg204)があり、大正洞の反対側の山麓にはサンゴ穴がある。これらの洞窟は連絡していると考えられ、1つの洞窟系をなすものである。元来、犬ヶ森から奥の盲谷自体がかつて洞窟であったものが崩落したものと考えられている。この谷の方向と大正洞の上層の方向とは一致して、地質の弱線を示すものと考えられる。

 大正洞の原形は若竹原面ができた後、佐山ポリエの原形の形成過程で生じたものと思われる。ポリエが赤郷砂轢層の堆積により埋没し赤郷面が生ずる際に、上層は地下水面型の洞窟して拡大発達したものと考えられている。

 その後、犬ヶ森ポノールなどによる河原谷への排水が活発になると、地下水面は低く、さがっていったものと考えられる。現在なお犬ヶ森ポノールと河原谷の鹿の井手の穴(Reg36)(標高115m)の高度差は45mもあり、この水平距離は約1,500mでその勾配は大きく、地下の侵食が活発に行なわれているものと考えられ、飴和水帯洞が形成されているものと思われる。(戻る

 

3景清洞 Kagekiyo-doReg.3

 美東町大字赤郷の佐山にあり、1922年秋芳洞と共に天然記念物に指定された。この洞窟は古くから知られており、長生洞とか景清穴、また赤の穴とも呼ばれていた。長生洞は八幡神社のある山の地名、長生山に由来するものである。景清穴の名は一般には平家の大将悪七兵景清が隠れ住んだという伝説に由来するが、平家の武将大庭景宗らがこの地に逃れ住み、その子の景清がこの穴で武芸の稽古をしたことにより景清穴と呼んだのが、悪七兵景清と混同されたものという(山口県文化財概要、第三集)。

 洞口は猪出台南西の麓にあり、その標高は183mで、洞口の幅は10m、高さ5mである。全長は1.5kmで猪出台を貫通し、三角田洞に抜ける典型的な貫通洞である。三角田洞は猪出台の北麓の三角田ポリエに開口し、洞口の標高は210mである。三角田ポリエの水が三角田洞に流入し、地下水として景清洞に流出するものであるが、三角田洞より約150mのところで水没して、乾燥期でないと通り抜けることが出来ない。本洞を通り抜ける場合には景清洞に入り、三角田洞に出るのが順序であって、逆に抜けると災厄が起こると言われてきた。

 観光洞としての施設は19643月に景清洞口より約800mまでの間に照明施設が設置された。また本洞は降雨時には多量の流水が流れる地下川型の洞窟で洞床には砂礫の堆積が著しく、この堆積状況は年月と共に変化し、1962年には洞内の砂礫を取り除く作業が行われた。最近まで、洪水時には流水により天井まで没していたようで、壁や天井に激しい流れによってできるノッチ、ポケット、スカラップなどの溶食微形態が見られ、鍾乳石、石筍などの洞窟生成物は限られた部分にしか成長していない。

 景清洞は、比較的単純な貫通洞で支洞も幾つかあるが、長いものは少ない。最も大きい支洞は洞口より約100m入った所から北方向に延びる支洞で、景清の潜伏したところと伝えられるものである。

 景清洞内の砂礫層は約5mの厚さがあり、石灰華でかなり固められており、野外における赤郷砂礫層に対比されると考えられる。従って景清洞の拡大発達に続き、砂礫層の堆積した時期は赤郷砂礫層の形成された時期であり、赤郷面の高度と景清洞砂礫層表面の高度はほぼ一致している。(戻る

 

4中尾洞 Nakao-doReg.4

 中尾洞は秋吉台の西北に南北部に長く孤立する青景台の上にある。1921年(大正10年)に発見され、翌19233月に天然記念物に指定された。洞口は青景台の頂上、標高180mの高さにあり、陥落ドリーネ状の窪みの底に南面して開口する。洞口部は15×25mの広間を作り、落石が多く、洞口より約25mは約30°の傾斜で下り、−6.7mの断崖に達する。この部分は口の洞とか、入口の洞と呼ばれる。ここで断崖を落石の間から下りると中の洞となる。中の洞は洞口との比高約一26mあり、さらに下層に底の洞とよばれる空洞が発達している。これは中の洞入口より約7m進んだ地点の北方向の壁に約1mの入口を持って続いている。全長約30mあり、中の洞と直交するように発達している三重構造の洞窟である。

中の洞から4mの断崖を登り、猫くぐりを抜け通ると、広大な奥の洞に出る。この部分が1921年に発見されたもので、発見については「秋吉台の洞窟探検」に述べられている。奥の洞は水平洞で約60m進むと、洞は分岐し、右には約20mで最奥部に達し、左には西北から西方に曲り、再び北東に延び、延長約60mの長さがある。奥の洞の洞窟生成物の美しさは特筆される。以上のように、中尾洞は3層よりなる石灰洞であるが、洞内には鍾乳石、石筍等の洞窟生成物や溶食微形態が顕著にみられ、洞窟の規模は他の3つの天然記念物に指定されている石灰洞より小さいものの、発見当時の状態がよく保存されている。本洞の名勝についても佐藤傳蔵の「天然記念物調査報告」に詳しく述べられている。

 入口の洞は落石の多い斜洞であり、洞窟生成物はほとんどない。中の洞も落石の多い水平洞で、洞窟生成物は比較的少ない。洞窟生成物のすばらしいのは奥の洞で、ここには1m以上の粘土の堆積があり、その上はトラバーチンで固められており、所によりこれが侵食されて1m程度削剥されている部分がある。また鍾乳石、石筍も多く「倒れ岩」とよばれる巨大な鍾乳石の倒れかかったものの上に、再び鍾乳石が成長しているものがある。主洞から左に廻った支洞部には鍾乳石、石筍、石柱が密集して存在する。

 中尾洞の奥の洞における粘土は最奥部で天井まで堆積していることなどから、北方の奥部より供給され堆積したものと考えられ、猫くぐりの溶食管を通って流水は中の洞に流れ込んだ時期があると考えられる。入口の洞は洞口より流水を吸込むポノール的なものが崩落した洞窟と考えられている。(戻る

 

5こうもり穴 Koumori-anaReg.9

 こうもり穴は秋芳町広谷にある全長190mの地下水の流出型の石灰洞で、秋吉台科学博物館の地下実験室に利用されている。

 洞口は上下2つあり、石灰岩崖の南面に開口する。上の洞口は幅1m、高さ1mで、これをかがんで入り、30m進むと幅7m、天井の高さ12.5mの落石の多い広場に達する。この間は幅1.5m、天井の高さ23mで、途中には奥行7mの支洞がある。下の入口は幅1m、高さ1mで、約5m入ると幅45m、高さ34mの穴となり地下水も見られる。地下水はさらに西の方に寄った上の入口の15m西に出ている。そしてこの両者は中央ホールで一緒になっている。ホールの西壁には幅1m、天井の高さ2m、奥行4mの支洞がある。この支洞は竪穴によって台上と連結していものと思われる。

 次のホールは東西方向に幅10m、天井の高さ8mで続く。底は粘土で北壁には小ヂバスがあり地下水がみられた。北面の崖を登ると幅2m、高さ2m、奥行5mの支洞がある。さらにその東に幅3m、高さ2mの奥の広場に通ずる長さ8mの通路がある。この床には真中に割れ目がありそれに向かって底面が傾斜している。これを抜けると上下二段になっているホールに出る。下段はさらに天然橋によって三つの部屋に分かれる。下段におりるには約5mの垂直な崖でザイルを用いなければならない。

最東端に地下水が湧出る穴があり、その東に並んで80cm、幅1.5mの穴がある。これを通りぬけると幅23m、高さ34mの通路となっている。この通路を約30m入ると高さ80cm幅1m、長さ1mと高さ40cm、幅80cm、長さ2mの狭い難所がある。ここを通り抜けると長さ20m、幅6m、天井の高さ8mの最奥部の広場に達する。この広場は石柱、鍾乳石が多く、底は粘土である。そして、一番奥は二段になっており、下は高さ1mで奥行きは5mで中は木葉状になっている。(戻る

 

6隠河洞 Onga-doReg.10

秋吉台帰水ドリーネの北約700m、秋吉台有料道路より東へ約50m入った、標高253mの植林の端に開口する。この洞穴は、測線延長508m。高低差110mの複合洞である。

竪穴部:竪穴部は−3m、−27mに、第一テラス、第二テラスを有し、−34mで洞底に到る。第二テラスには、−5.2mの竪穴が開口している。また、テラスの壁には−5.2mの竪穴が開口してい。

斜洞部:洞底部から続く斜洞はN38°W35°Nの節理により20mほど支配され形成されている。この洞床はメアンダー・トレンチで削られている。ここから上方に延びる支洞と下方に延びる本洞とに分岐する。上方へ延びる支洞は約15mで、非常に天井が高い。本洞は、約15mの間、典型的なキイ・ホール・パッセージとなっている。このキイ・ホール・バーセージを形成する溶食管の径は約1mで、メタンダートレンチによる下刻は約2mである。ここから約20mほど洞はほぼ水平に延びる。これを過ぎると洞は約30°〜40°の急な斜洞にかわる。最初の10m程度は、N76°W32°Nの節理に従って延びている。この通路を過ぎると、径約1.5×2mのボア・パッセージとなり、らせん階段のように下方に延びる。次に洞内でのフイックス・ポイントに出て、−10.5m、−8.3mの竪穴になり、横穴部に連絡する。

主洞部:ラダーで降下すると、南北方向に横穴が延びている。北方向へ進むと、天井部に幅約30cm、深さ15程度のハーフ・チューブが形成されている。約30m行くと、径4m1m1.5m3つの洞内ドリーネが見られる。洞床には水流が見られ、南方向へ流れている。洞内ドリーネを過ぎると約20mで洞は西方向に屈曲する。この屈曲部にピラーが認められる。この通路の北側の壁には溶食管の径が3060cmのスポンジ・ワークが認められる。洞奥は上方へ延びる溶食管により終わっている。

南側の主洞は、約30m続き、床は粘土でおおわれている。この洞の中間部には約2mの三角木馬状の母岩がある。この洞の天井部もまた、溶食管が多く、フレアティツク・ペンダントも見られ、洞壁にはアナストモシスが観察される。南側主洞の最後は、径約1.5mのボア・パッセージが下方に続いており、最終的には水没している。

滝支洞:右の支洞は、約100mの斜洞である。支洞は約40mで左右に分岐する。この間約40mは、キイ・ホール・パッセージを示している。この溶食管の径は、約11.5mで、メアンダー・トレンチは2m程度であるが、深いところは8mのところもある。右側の支洞は約10mで、天井は6mと高く、天井部からの水流が、滝となっており、滝の下は浅いプールとなっている。

 左側の支洞の洞底は粘土で覆われ、節理に支配されており、1.2mのボア・パッセージが約10m続く。ここから洞は北側に曲がり、節理に支配されている。始めは、ボア・パッセージ型を示しているが、奥へ行くと節理が開いた型にかわっている。節理の間を進むと上方と下方に洞は分かれる.上方は約5m続き、天井は約5mである。この支洞の壁にはノッチが形成されている。下方の支洞は約20m続き、途中幅約30m程度の非常に狭いクラツクを脱けると3×5mのホールに出る。このホールも天井は10mと高く、壁にはノッチが形成されている。

難ロック支洞:入口から10mの所のE側の壁には横穴郡の天井につながる洞があるが、滑ると横穴部に転落する危険があるために注意が必要である。洞はここから30°の傾斜をもって上方に延びている。入口より22m進んだ所で3方向に分岐している。南側に進むとS58°W30°Sの節理に支配されたキイ・ホール・パッセージとなって15mつづいている。その奥には火山灰が堆積している。分岐点より北側の壁を3m登るとS58°W65°Sの節理に支配されたボア・パッセージが20m続いている。ここは50°〜60°の斜洞となっており、床は乾いた粘土が堆積している。この奥はドームとなっている。

 分岐点の床にある狭いビットを降ってゆくと、壁に垂直条痕を刻んだ洞が下方に15m続いている。(戻る

 

7中尾西の穴 Nakaonishi-no-anaReg.17

 中尾洞の南西約50m地点、標高180mに開口する横穴で、洞ロは2×3mである。測線延長は約103mで、小水流もある。地元の人々は昔隠れて賭け事をしていたので、バクチ穴とも呼んでいる。

洞口からすぐに−1.5mの崖となっている。洞を約20m進むとホール状になっている。このホールには南方向に支洞があるが落石でつまっている。このホールの北側には、リムストンプールが見られ、この中には、ケープパールやケープピソライトが多数見られる。ホールから30°の上り傾斜で落石を登ると、その東側に、奥の洞へ行く連絡洞がある。この奥は今までの洞と一変して狭くなる。狭い通路を5mほど進むと8×10mのホールに出る。このホールの西側に8m登ると上方にのびる支洞があり、この支洞は迂回してホールの天井部に出る。ホールから南側へ洞は続くが、メアンダー・トレンチによって侵食されている。天井部にはポケットが見られる。最奥は粘土に覆われている。またリムストンプールも見られる。この付近の現水流は、洞奥からホールヘ流れている。(戻る) 

 

8姫山の穴 Himeyama-no-anaReg.22

中の台(姫山)の西側斜面中腹、標高180mに開口する横穴で、測線延長は694mに達する。本洞窟は上層部と下層部に分けることができる。上層部は洞口より約80mの付近で北方向に曲り約90mで終わる主洞と、これに付属するいくつかの支洞および、下層部の通路とに区分することができる。                                         

洞口(3×2m)より屈曲部までは30°〜10°の傾斜で下り、多くの落石によって洞床はおおわれている。洞幅は8m前後で天井高は15m以上ある。洞口より40m地点の南側に支洞の入口があり、さらにこの支洞へは主洞の洞床にある−10.4mのピットからも通じており、主洞が屈曲する地点の南側にも2ケ所入口を持つ。主洞部が北に曲る地点は天井高約20mあり、上り傾斜でのびており、最奥部は屈曲する地点の天井の水準まで達する。

屈曲する付近にはいくつかのピットがあり、下層部の通路に通ずる。この主洞部の屈曲する部分の東側は、水流による蛇行のあとが顕著にみられ、大規模なノッチが形成されている。ノッチの幅は約17mもある。この反対側、すなわち西側には岩石段丘が形成されておりフローストン、トラバーチンでおおわれている。主洞の奥は粘土、トラバーチン、フローストンが多い。この主洞部の天井には、径2m程度のハーフ・チューブ状の溶食管が形成されており、主洞部が拡大する母体となった飽和水帯洞の跡かと思われる。

 なお主洞の屈曲点より4050m奥の東の洞壁には白色洞窟生成鉱物が広く見られるが、これはアラゴナイとされている。

 支洞は主洞より数ヶ所の入口があり、主洞の南側に網状をなして発達する延長約230mの洞窟である。通路の幅は13mと主洞に比較して狭く、節理による支配が顕著で各所にロックスパンを形成しており、飽和水帯洞の様相を示している。支洞は立体的な網状を呈しており、多重構造をなしてドーム・ピット状の洞内竪穴で連絡している。下層部は前述の支洞および主洞の、屈曲点付近のピットにより数m下位に約150mのびる洞窟である。この奥部では洞内竪穴によって主洞と通じている。この下層部には流水が北西方向に向か

って洞床を流れ、リムスト−ンの形成されたところもある。また奥部にはプールがあり、ケイブコーラルが発達する。(戻る

 

9寺山の穴 Terayama-no-aaReg.25

 寺山の穴は秋芳町別府、流田の南方0.7kmの山腹、標高116mに開口する全長約1,533mの横穴である。その一部は古くより知られた鍾乳洞のひとつであるが、大半の部分は長年にわたる採検の結果、発見されたものであり、その探検史は「秋吉台の洞窟探検」に詳しく述べられている。

 洞窟は4本の主洞部と、その間を繋ぐ狭い連絡洞で構成され、全体的にはいくぶん迷路状を呈している。また、洞内のいたる所にプールがあり、西日本洞窟潜水研究会によればそれらはサイフォンで繋がっており、最奥部の水深は40m以上にも達しているとされる。

 洞口(7×8m)から北西方向に伸びる約259mの部分が第1主洞である。洞口より約30m進むとホール(20×25m)となり、その南西方向にはプールが形成されている。第1主洞奥部手前の南側の洞壁の小さな割れ目からが第2主洞へ続く約122mの第1連絡洞となる。第1連絡洞には高低差10mのクラツクが東西方向に近接して2本走っており、これを登ると第2主洞に至る。

 第2主洞は北西〜西に延びた約354mの部分で、ホール(20×40m)に続く。ホールには西方方向に約70mの支洞がある。この第2主洞奥部のホール、およびホール手前の2ケ所より、南に発達した約95mの第2連絡洞があり、第3主洞へ続いている。連絡洞をぬけると、西、南東、東の3方向に通路は形成されている。全長は約464mあり、常時水流が北西から南東にかけてあり、南東および東に延びる通路の奥はプールとなっている。

 洞口部より南に延びる第3連絡洞を通り、−8.3mの崖を降りると、南東方向に延びる全長約239mの第4主洞に到る。ここは洞窟生成物の発達が良く、また常時水流が奥部に向かって流れ、プールも5ケ所ある。(戻る

 

10姥ヶ穴 Obaga-anaReg.28

 岩永台育成牧場事務所から牧場道路を約1,300m進んだ地点の西側にあるドリーネの底の、標高約280mのレベルにある全長430mの秋吉台を代表する流入型斜洞である。洞は奥に向って傾斜が続き、洞口との比高80mをもって最奥部に至る。洞口(25×7m)から大ホールまでは約50mあり、その間N30°E90°の断層に支配されている。また、洞口からN40°W方向に約30mの支洞がありN50°W30°Sの断層に支配されている。大ホール(25×30m)は洞床が大きな落石でおおわれており、W方向に40°〜60°の傾斜となっている。落石の上を傾斜方向に降りてゆくと最奥部の大ホールに至る。

斜洞は40°〜50°の傾斜で、崩落が著しくほぼ全体が落石で詰まった状態となっている。床面のいたる所に黒色頁岩が露出しており、これが不透水層として作用して、形成されたことを示している。

 最奥部の大ホールには落石が少なく、粘土が広く堆積する。また、南側から流れ出た小水流が、南西の端で砂轢の中に梁み込んでいる。以前はこれよりさらに奥へ入洞できたが、砂轢の堆積のため、現在では入ることができない。また、その水流は奥河原の水穴へ排水されていることが確認されている。(戻る

 

11兼清穴 Kanekiyo-anaReg.34

 秋芳町湯の上、三ヶ台山麓の標高103mに開口する全長約300mの横穴である。洞口には水神を祭る詞がある。古くから知られた洞窟の一つで、昭和38年には山口国体において山岳競技のコースの一部に取り入れられた。洞は西方向に発達し、奥には三つの広間が連なっている。洞口(5X2m)より南西方向に約30m進んだ地点より、洞は西方向に伸びて約55mで最初の広間の入口に達する。この間、幅5m前後、高さ2m前後と一定した水平洞が続き、ほぼ水平天井の形態を呈している。広間は30×25mのほぼ長方形状をなして、天井の高さ25mで、洞床は落石が多い。広間のS方向には約25mの支洞があり、奥部には錘乳石、石柱などの洞窟生成物の発達する。

広間の西側から洞奥に続く通路があり、約50mで次の広間に到る。広間の北方向には約20mの支洞があり、N15°W55°Sの割目に沿って形成され、天井面にはきれいな方解石の結晶がみられる。

 この広間の西側から約20mで最奥部の広間となる。最奥部の広間(20×25m)は25mの大きな落石によって幾つもの部屋に分離して、迷路を呈している。広間入口部分はN4°E45°Sの節理に支配されて、その節理面が天井面となっている。

 本洞の沖積面との比高は約23mで、アナストモンス、ペンダント、溶食管、キャビティ、ロック・スパンなどの飽和水帯起源の溶食形態も認められるが、飽和水帯洞として発達したと推定するほどの証拠とはならない。恐らく地下水面帯で拡大したものと思われる。 (戻る

12椿穴 Tsubaki-anaReg.43) 

 秋吉台、青年宿泊訓練所東方約30mの位置に開口する深さ88mの竪穴である。洞口は3×5mの長円型を示し、入口には椿の木が自生している。測図中には記されていないが、入口より40mの降下点に小さな支洞がある。洞幅約1m、天井の高さ約3mでほぼ西方向に

5m程のびている。壁には、ほぼ水平なノッチが数本みられる。床面にはリムストンが形成されて、わずかに水流を有している。

 この支洞より、48m降下すると洞底に着く。洞床は約6mの円型を呈し、落石、朽木で埋っている。

 この降下部のホールより、それぞれ北西、南東方向に支洞があり、支洞の方向はジョイント方向と一致するものと思われる。南東方向に延びた支洞は5m程度進むと、2.5mの落差があり、その地点を下ると、ホールに出る。ホール壁面には、天井からの水滴による、フローストーンの溶食が見られ、また水滴が床面の石灰岩を溶食した中にケイブパールが形成されている。この部分の洞床は径約20cmの落石で埋っている。

 また、北西方向に延びている洞は、約15°の傾斜を持って下っており、5m程の狭い部分を通り抜けたところのホールには褐色の粘土層があり、その中には小動物の骨片が多く含まれていた。(戻る

 

13風船穴 Fuse-anaReg.45

 秋吉台科学博物館南方550m、エレベーター待合所南西250mの位置に開口する竪と横の複合洞である。洞口は1×1mで、約10m下ると第一テラスがあり南東方向に延びている。そこから5m行き、さらに2.5m降りると洞は幅3mで約40°の傾斜で下っている。10m程、落石の床を下ると洞は左右に分岐する。左方の洞は幅2m、高さ2m20m伸びており、洞床は粘土と落石で覆われ中程にトラバーチンのブリッジがある。

 右方の洞は1.5m降り、さらに9.8m降りると第二テラスのホールに至る。ホールは幅6m高さ15mである。このホールの東壁には−20mの竪穴があり、また西壁の床より4mの地点に横穴が開いている。このホールはさらに南に幅5m、傾斜20°〜40°で約50m登っている。洞床は粘土で一部落石で覆われている。途中10m程進むと−8m、さらに15m進むと−8.6mの竪穴がある。このホールのラダー降下点は天井の高さ10m程度であるが、奥になるほど低くなる。高さ1.5m、幅2m程度の最奥部は粘土で覆われており、その天井には木の根が見られることより、地上にかなり近い事が推察される。この支洞の洞窟生成物の発達は極めて良好であり、洞床には約1mの石柱、石筍が多く見られ、鍾乳石も多い。しかし、大部分は人為的に破壊されている。

 第二ホールの西壁に開口する横穴は幅1m、高さ1m15m北西に進むと、幅6m、長さ15mのホールがあり、全体は−78mの竪穴になっている。フローストーンの壁を12m登り、10m進むと幅25m、長さ20m、高さ6mの奥の大ホールがある。洞床は0.51mの落石と粘土に覆われており西より東に傾斜している。入口の北側には小さなプールがあるが褐水期には涸れる。石灰生成物は豊富で、床面に多くの石筍、天井には鍾乳石が形成され、北壁の鐘乳石の間にはヘリクタイトが見られる。これらの石筍、鍾乳石のほとんどは人為的に破壊されている。中央よりやや西側にコウモリのグアノが堆積しており、’6915日の調査の時には、このホールよりヤベオオツノシカの化石骨が発堀されている。(戻る

 

14鷹ヶ穴 Takaga-anaReg.60

 鷹ヶ穴は秋芳町別府のあかんた山北西部、標高約240mに開口する。この竪穴の洞口は古くより知られていたが、1963年、山口大学洞穴研究会が入洞して、約40m降下したところに、巨大な水平洞があることを発見し、第2次、第3次の調査を行った。後に長門ケイビングクラブが中央本洞、北本洞、南本洞と呼ばれた部分と支洞の幾つかの概要を明らかにし「杉江洞」として報告した。その後、こうもり会なども調査を行ったが、1973年から1975年まで7次にわたる長門ケイビングクラブの詳しい調査により、新しく「天霧洞」も発見され、その全貌が明らかにされた。これらの探検のことについては「秋吉台の洞窟探検」にも述べられている。鷹ヶ穴は竪横複合洞で、本洞の長さ約1,400m、支洞約40を加えた総延長は約4,500mといわれ、最深部の洞口との比高は157mに及び、洞内の最大幅50m、天井の最も高いところは約30mあり、秋吉台における最も長大な石灰洞のひとつであり、わが国屈指の洞窟である。洞内におけ洞窟生成物のすばらしさは秋吉台における石灰洞中第一である。充分、保護する必要がある。本洞については長門のケイビングクラブの「鷹ヶ穴調査報告書」(1976)と秋芳町・秋芳町教育委員会の「西秋吉台鷹ヶ穴石灰洞」(1981)に詳しく報告されている。

 この洞窟は別府地域の水流が、西側の於福にある厚狭川へ排水するための地下河道として形成されたもので、古水系の状況を知る上でも極めて貴重である。現在では白水水系が成長し、於福台の地下を貫通していることが確認されている。したがって、鷹ヶ穴付近の地下水は東方向に向って流れており、古水系とは全く逆となっている。

 本洞窟は顕著な裂罅系が認められているが、とくにEW90°,N75°W90°,EW60°SN40°E50°SE4方向のものが卓越するという。(戻る

 

15風穴 Kaze-anaReg.64

 秋吉台のエレベーター待合所より北東方向120mの雑木林中に開口する竪穴である。洞口は1×2mである。洞口より4mで第一テラスに着く。ここはテラスと言っても非常に狭

く、さらに8m降りると第二テラスである。第二テラスは13×6mの広さで、洞床は比較的乾燥した粘土で覆われている。この第二テラスには3つの竪穴があり、ラダー降下点より南方向にある竪穴は深さ15mで、さらに北西方向に広がったホールとなっている。また、北東方向にある2っの竪穴の内、右側の穴は深さ7mで、底は広さ12×6mのホールで、洞床は落石、粘土で覆われている。残りの最も深い竪穴を降りると、−12.5mで第3テラスにつく。この第三テラスには、2つの竪穴があるが、途中でつながっており、12m降りると第四テラスである。この第四テラスは8×4mの広さで洞床は落石である。

 この第四テラスの東方向に2つの竪穴が開口している。この2つも途中で続いており、傾斜50°の狭い連絡洞を6m降り、その地点より垂直に深さ19mで、第五テラスとなっている。第五テラスは2×10mと細長く、ここより第六テラスまで約10mである。第六テラスには、第五テラスより流出した水によるプールがあり、ケープパールが見られた。第六テラスは10×6mの広さのホールとなっており、このホールの最も南側に竪穴が開口している。この竪穴が秋芳洞の須弥山に続いている。この竪穴を8m降りると秋芳洞の天井となり、さらに19m降下すると秋芳洞須弥山付近の洞床に着く。以上、風穴の総合した深さは、洞口より秋芳洞の洞床まで約110mである。(戻る

 

16恵藤穴 Eto-anaReg.68

 秋吉台科学博物館の前にあるドリーネの南西斜面に開口する竪穴で、洞口は直径1.5mで深さは57mである。

 洞口より約15m降下したところにテラスがあり、このテラスの広さは3×6mで、落石がつまってできたものと思われる。さらに42mで洞底に着く。ラダー降下点付近より西方向に30°で下っており、床は落石でおおわれている。ここは天井の高さ10m、広さ5×15mのホールとなっている。このホールに接してもう一つのホールがあり、2つのホールは、幅40cm、高さ3mのクラツク状の連絡洞でむすばれている。また、ここより北側でも連絡しており、ここに火山灰が厚さ20cm位堆積している。

 なお最奥部には、プールが存在していたものと思われる。このプール跡のところの天井には、鍾乳石が多数形成されていたものと思われるが、破壊されていた。全体的には洞窟生成物の発達が悪く、ホールの北西の壁にフローストーンが見られるだけである。また、テラス及びホールでイヌの遺骸を発見した。洞内生物は見られなかった。(戻る

 

17雀の鳴穴 Suzume-nakianaReg.76

 別府地区、弥山の北西斜面標高183mに位置する竪横複合洞で、測線延長は約253mである。洞口は二つあり大きい方(14×6m)から−167m、小さい方(1×3m)から−212mで上位のホールに着く。ラター降下点から南西側には25m程延び、そのホールの北東側から15m程狭いパッセージを通り、−215m降下すると下位のホールに着く。ラダー降下点からホールは東方に40m程延び、洞床は落石と粘土で覆われている。また、ここには多数の獣骨が散在するが、ドラバーチンで固められているために採集はむずかしい。

 パッセージはさらに北西方向に延び、洞床部には水流が同方向にあり、リムストーンプールを作る。パッセージは35m程で狭くなりサイフォン状のプールをぬけ最奥部に着く。最奥部は北西〜南東方向に70m程延びていて、サイフォンが密閉洞としているためか、洞窟生成物の発達がすばらしい。洞床部には水流が南東から北西に流れ、礫が堆積している部分もある。洞壁、天井部には、ペンダント、ポケットが多く見受けられ、シーリングチャネルもうがたれている。(戻る

 

18.無名穴 Mumyo-anaReg.77

 無名穴は秋労町台山、エレベーター待合所北方100m、標高210mに位置する全長約305m

比高約100mの竪横複合洞である。洞口(3×6m)は深さ14mの陥没ドリーネとなっている。この14m下った地点より、洞は45°の下り傾斜となって奥部まで約70m続いている。洞口部北方向には親子孫穴と呼ばれる三つの竪穴があり、親穴の深さは24.3mある。

 さらに洞は洞口部西側の洞壁に開口するボアーパッセイジによって空間は続いており、約20mボアーパッセイジを進むと北西方向に約100m、北東方向に約30m続いている。両方向に延びる分岐には大滝穴と呼ばれる−76mの洞内竪穴が形成されている。大滝穴には四つのテラスがあり、第3テラス(−622m)には北東方向に延びる25mの支洞がある。洞底部は4×25mの広さを有し、西方向に13m延びる支洞がある。

 分岐点より北東方向へ延びる通路は、階段状に下りながら続き奥部のホール(7×10m)の南東方向には小滝穴と呼ばれる−40mの洞内竪穴が1×1mの入口を持って開口している。小滝穴の洞底部は14×25mのホール状を呈しており、洞床は厚い粘土でおおわれている。洞壁、天井部には溶食管、ペンダント、ポケットなどが形成されている。この小滝穴は常時地下水が滝となっている。

 比高100mにもおよぶ典型的な竪横複合洞である無名穴において溶食微形態の観察から、その発達史は飴和水帯での拡大が報告されている(1979、山口大学洞穴研究会)。それを概説すると、無名穴の発達する標高210m〜標高110mにおいて、典型的なボアーパッセイジとそれに続く溶食管から飽和水帯洞系が標高210m〜標高160mおよび140m〜標高120mの二つの水準に形成されている。

 さらに、本洞窟は秋芳洞と繋っている可能性があるとされており、両者の発達史は同一水系の枠の中で論じる必要性も生じてきている。(戻る

 

19秋吉鷹ヶ穴 Akiyoshi-takaga-anaReg.78

雲出原の鷹ヶ穴ドリーネ南側斜面、ドリーネ底から約10m上方、標高193に開口する竪穴である。ドリーネ斜面に長さ約20mの岩壁があり、その東端、岩壁下に開口する。鷹ヶ穴の洞口は割れ目の支配を受けた2×1mの楕円形を呈している。

竪穴は深さ55mで、約30mの所に小規模なテラスがある。洞底にはほぼ東西に延びる横穴が発達し、約240mの長さがある。横穴は竪穴底より東に52m(東主洞)、西に188m(西主洞)延びている。東主洞は幅約5mの通路で、710mの天井高を持つ、竪穴底から東へ約40mの地点で、高さ5mのフローストンの壁が洞幅全体に2段に立ちふさがっている。このフローストンは巨大なリムストンの残骸で、下部は侵食されてトンネル状の溝がうがたれ、既に完全に涸れている。

この2段の壁を登ると約10×10mのホールに達する。ここは落石や粘土で覆われている。西主洞は西方へ約45m10×10mの第1ホールヘ出る。この間の通路は最大幅で10m、比較的平担であるが落石に覆われている。天井高は高い所で約15mであるが、一定していない。

天井は割れ目が多く、崩落跡が著しい。南北両壁面は切り立っており、割れ目に沿ったものである。第1ホールはやや複雑で、幾つかの支洞がある。南に伸びる支洞は垂直の割れ目状のものである。南西にはN40°E57°Sの割れ目に沿った斜洞が伸び、節理が縦横に走っている。

西主洞は第1ホールから更に西南西へ伸びるが、第1ホールに近く小支洞がある。この支洞は北東に伸びた後、南西に大きく屈曲し、最奥部はドームビットとなり、天井高14m、深さ12mである。西主洞通路は西南西に次第に洞床が高くなる。洞床の低所には粘土が堆積し、天井からの滴下水で径10cm、深さ40cm50cmの円柱形ないし円錐形の穴がうがたれている。

通路は一度狭ばまった後、大きく広がって約10×10mの第2ホールに至る。第2ホールからは南に向かって伸び、洞床は粘土とトラバーチンの互層で覆われている。洞床は中央部がやや凹み、天井高は約3.5mである。南側は粘土の堆積で一段高くなり、天井の低い平たい洞窟となる。粘土層は一部深さ0.8mの溝状に浸食され、ここを通って南側の最奥部の小ホールに至る。第2ホール南側の粘土層の上には火山灰様の灰白色砂質層が堆積し、その上を薄くグアノが覆っている。(戻る

 

20アキンドの穴 Akindo-no-anaReg.97

若竹山の東約200m地点の観察路下方約20mのドリーネ斜面に開口する竪穴である。洞口の標高は約240mで、その形は直径が2mの不規則な円型を呈す。洞口からは真下へ30m降下しており、そこから西方向に長いホールとなっている。

降下点の南にはやっと入れるぐらいの小支洞がある。ホールは西側でより広くなっており、崩落により拡大したため、床面に多量の落石が堆積する。ここには溶食形態、洞窟生成物はほとんど発達しない。

ホール西側に狭い通路があり、その奥に6mの竪穴がある。下の洞窟は一部ホールの真下に発達した二重構造を持つ。天井は低く、幅の広い洞で落石は比較的少ない。粘土の堆積している所が多く、季節的水流が存在する。鍾乳石や石筍は最奥部にもっとも発達する。また、トラバーチンも見られる。

板状の降下点の朽木にはナガトリュウガヤスデの群集が、また下方の粘土中にはコウモリ、ウサギなどの骨片が認められた。(戻る

 

21デユークの穴 Duke-anaReg.116

若竹山の北北東約400mのドリーネの底に開口した竪穴である。洞口は表土の中に陥没状に開いて、0.8×0.4mの楕円形を呈し、一人がやっと入れるぐらいの大きさである。

洞口からは33.7m降下し、降下点より北西方向に6m、南東方向に9mほど延びる。全体がクラックに規制され発達したことをよく示している。

洞の上方56mの所にテラスが広く発達し、とくに南東方向側のその上に、洞窟生成物がよく発達する。洞床は粘土と落石で覆われ、1ケからサルの頭骨が採集されている。(戻る

 

22角谷の穴 Kadoya-o-anaReg.125

秋吉台北東部の大正洞より、南西約350m地点、標高192mの斜面の大型石灰岩柱の下に開口する。測繰延長は102m、高低差は18.5mである。洞口はクラツク状を呈しており、非常に狭く−4.7mの竪穴となっている。クラツクを下ると、N74°W72°Nの節理に沿って通路が発達している。洞床は落石で覆われている。洞を下るとホール状になって終わる。左右に分岐している。洞床はほとんど落石で覆われている。壁面には、キヤビティが見られるが、全体は節理に強く支配され形成されている。

 右側の洞は約12°で下ると、15m4×4mの洞内ドリーネがある。またここから左右に洞は分岐している。左側の洞は、約75°で登って終わる。右側の洞は約12mほど13°の上り傾斜で行くと、また左右に分岐する。その支洞は、N40°W60°Nの節理に強く支配されている。また洞床にはグアノが見られる。

 この洞窟には、節理による支配が強く見られ、上層部では、飽和水帯起滞の特徴も見られる。また、洞内ドリーネの底から、アキヨシムカシジカの骨化石が大量に発見されている。(戻る

 

23岩永台P4の穴lwangadaiP4-no-aaReg.23

 岩永台Plの穴から北西に約200m、標高239mに位置する竪横複合洞である洞口は1×1.5mと狭く、洞口より1.5m降りた所にテラスがある。−27mの竪穴を下りた降下点付近はN70°W50°Sの節理に支配され、洞床には粘土、落石が多い。降下点より北方向に5m進むとさらに−2.4m降りる事ができ、そこを右に進むと30°〜40°北西に傾斜した支洞が続く。左の壁沿いに約20m進むと−9mの崖がある。崖の下はホールになっており、さらに西方向に延びている。この方向40°の傾斜を下ると北西方向に延びる主洞と、北東方向に延びる支洞とに分かれる。この支洞は約30m続き、洞床には砂、粘土の堆積物がある。一方、主洞部はN65°W75°Sの節理に支配され、約20m進むと30×20mの大きなホールに出る。

このホールはN40°〜50°Wの節理の影響を受けており、巨大な崩落が多く、床は全体的に南東方に傾斜している。このホールの最深部から落石の隙間を15m降りるとクラツクに出る。クラツクをさらに5m進むと33mの竪穴となり、その洞底が最深部である。(戻る

 

24岡崎の穴Okazaki-no-anaReg.29

秋芳町岩永本郷泉より県育成牧場に登る道の急カーブより東に100mの所に開口する。洞口の標高は195mで全体の高低差は104mに達する竪穴である。測線延長は115mで、洞ロは1.5×2mである。

洞口より70°で17m下ると第1テラスで、そこには3本の竪穴が開口し、さらに下方に向かう。この3本の竪穴の下方では、N70°Eの断層で相互連絡しており、約40mで第3テラスとなる。途中、−25m付近には岩棚状の第2テラスがある。この断層面は、全てがフローストーンで覆われており、石筍が発達している。第3テラス下部には、さらに竪穴があり、28mの降下で最深部のテラスとなる。このテラスの両端(南・北東)には、それぞれプールがある。断面図で示されるように南端のプールの水面の方が低い。(戻る

 

25芝尾の穴Shibao-no-anaReg.245

秋吉台北部、芝尾部落から台上にぬける道路へかかっている橋より西へ30m、竹林の標高155mレベルに開口する測線延長187mの横穴である。入洞可能な洞口は3つある。洞ロより入ると洞の左側に−5m、−8m2つのピットがある。A洞への連絡洞は5mほどのボア・ハツセーシで、洞壁にはノッチが形成されている。A洞は約20°の下り傾斜で30m程度続く。洞の天井部には、+10m、+17m、+16mのドームが形成されている。またA洞の北側には、溶食管による通路があり、いわゆる迷路状通路を形成している。南側50°の傾斜を上ると−15m2つのピットが見られる。これらのピットはB洞の天井部に抜けている。この50°の傾斜の壁の下に、径2m、長さ約5mのポア・パッセージが形成され、このボア・パッセージもB洞の天井に開口する。なお増水期には、B洞への連絡洞が水につかるので、このルートを使用した。このルートはラダー10m程度を必要とし、フィイックスは、北側の迷路状通路にあるピラ−に行った。B洞への連絡同は、A洞の南西方向にあり、径0.8mと非常に狭い。

B洞は、約30mで、水流が東から西に流れる。増水期には、ここは全洞水没する。この洞には、洞幅をまたぐような天然橋が2本見られる。B洞とC洞をつなぐ連絡洞は三ヶ所ある。

C洞は、節理に良く支配された、約50mの洞である。洞中央部の通路を上方に登るとC洞上層部に出る。上層部にはグアノの堆積がある。東側の通路には、23cmで一本の柱となりそうな、鐘乳石と石筍がある。B洞との連絡洞のうち中央の連絡洞をぬけると、径1m程度のピットがある。このピットは通常水が溜っているが、渇水期には、この下層に天井の低いプールが12mほど続く。この洞の東側の通路は上方に向かってのび、最奥部には木の根が見られることから、かなり地上に近いと思われる。なおこの洞では、アナストモシス、天然橋、仕切り壁を認めた。

 洞全体にA洞北側に顕著に見られるような迷路状通路が、よく発達する。(戻る

 

26猪出台の穴 Shishideda-anaReg259

 美祢郡美東町赤郷猪出台の台上に位置する。洞口は3か所あり、旧洞口(第3洞口)は未原地区所有の栗園中のドリーネ西斜面に開口する。洞口は小さく0.5×0.3mの竪穴となっている。新洞口(第12洞口)は旧洞口の南約60mに存在し、洞口周囲はクヌギ林で、ヤプとなっている。

1洞口は大きく、直径が13m、短径が9mにも達し、底には崩落石が厚く堆積し、陥没ドリーネとなっている。第2洞口は第1洞口の南東側に開口する2×2mの竪穴で、すぐに第1洞口と一体化する。海抜300m(第1洞口)。

 陥没ドリーネの大型洞口は北側でやや緩やかで、その斜面を降りることができ。南側は崖となり、南東部外側に第2洞口があり、約10mの竪穴となっている。横穴部は洞口底の東側に開く。

 入ったすぐの場所はホールで、天井が高く10m以上に達する。床面は巨大落石に覆われ、その奥は24mの崖となる。その下には小水流があり、西側壁面下に流れ込む。旧洞部との連絡部は幅が0.5m、高さが0.4mと著しく狭く、そこには季節的プールができる。

 旧洞部は全長212m、高低差45mで、旧洞口(第3洞口)から奥へ向って述べる。洞口は5.5mの竪穴で、ホールの北西側に開いている。ホールはS15°E50°Nの節理に沿って延び、天井にはボアーパッセイジ、ポケット、キャビティが発達する。その南側にいくぶん狭い通路が続き、5.1mの崖上に出る。ここまでが第1主洞である。ホールの中央部西側に第3主洞へ通じる入口が開き、途中大きな天然橋がある。その奥に約15mのピットが開口する。第3主洞は上層部であるため、いくつもの下層部へ通じる迷路状の通路が発達する。第1主洞と第2主洞の間の竪穴部では降下口より上方約7mの所をトラパースして前進しなければ、第3主洞の奥へは到達することができない。

 第2主洞の最初のホールはN28E40°Sの節理に規制され、降下点の左側には第1支洞が延び、それはボアーパッセイジの形態を有す。続く奥の第2主洞左側には第3支洞が、右側には第2支洞が開く。

 第2主洞はさらに緩やかな傾斜で奥へ続き、天井高部にハーフチューブが長々と形成されている。その下部は節理支配の形態をもち、その面の所々にアナストモシスが刻まれる。また、3ケ所に上向きの竪穴があり、顕著な条滞が見られる。最奥部には小水流があり、その手前に北東方向へ延びる第4支洞がある。その入口近く右手に12mの竪穴が開口し、フリーで降下できる。第4支洞はだんだん奥で狭くなり、最後は入洞不能となる。床面にはメアンダートレンチが、壁面の所々にノッチが見られる。

 新洞部の斜洞は陥没ドリーネの南側に7mの竪穴として開き、途中2mにテラスがある。テラスから西方向に8mの支洞があり、奥部は落石でつまっている。降下付近で洞は3方向に分かれる。北西方向へは5mの小支洞で終り、N70°E方向へは10mほどで進むことができる。奥部へ続く主洞は南側に狭いハーフチューブとして斜下に延びる。全体的にはS45°E方向に45°の傾斜で続き、床面は落石で、15mぐらいで小ホールに出る。小ホールは天井高45m、幅34mで、付近には多くのシカなどの獣骨が散在する。

奥の北西側の落石の間に−3mのビットがあり、さらに狭い落石の隙間を抜けて進むと、

高低の大きい割れ目型の洞窟の中間部に出る。ここをチムニーで4m降下すると、小水流が奥下方に向って流れる。砂礫も所々に堆積する。7m前進すると小ホールに出て、左側に支洞が開口する。

支洞はN30°W7mほど進むとS50°E方向に大きく曲り、さらに8m前進すると分岐点に達する。分岐点より南東方向へは5mほどで終るが、北東方向側へは2m段差を登って、10mほど続く。

 小ホールから奥部はS70°E方向に40°の傾斜で15m下ると、西方向への分枝洞のある所に出る。分枝洞は50°の傾斜で約10m進め、途中に13mの段差がある。全体がボアーパッセイジで、床面は粘土に覆われる。主洞のさらに下方は幅2m10mぐらい続く。途中白いフロ−スト−ンや石筍が発達する。

床には粘土や砂轢があり、上方からの小水流も続いて流れている。それより奥は傾斜が50°となり、奥部のプールに至る。プール付近には相当量の砂礫があり、かなりの部分が埋没しているものと思われる。また付近には複雑な仕切り壁が発達する。これより奥はほとんど水平となり、まず北方向へ10mぐらい、続いて北東へ10mほど前進できる。(戻る

1本杉の穴lpponsugi-no-anaReg.317

湯の上川の弥山々麓到達地点より南に100mで、弥山北西斜面に切り立つ岩壁の直下に開口する。横穴で、測線延長は300mである。標高120mレベルの洞口は3つあるが、いずれも落石によって区切られたもむで、その下でつながっている。洞口より、落石のすき間を10mおりると、南北に延びる横穴となり、その中央部では東に広がる小さなホールとなる。

ホールの北部から東に延びる平坦な通路を行くと天井は次第に高くなり、20mで、北に傾くドームとなる。ホールの南部から北東に延びる小石をしきつめた通路を行くと、水平に30m続く。そこで洞は2つに分かれており、左を行くと、高さ4mのクラツクがあり、チムニーで登れば、ナウマンホールに出る。ホールより、傾斜ノッチのある斜洞を東に降りると、粘土につぼ状に開口するピットのある、タコツボホールに出る。更に東に10m行くと、左手に支洞が見えるが、これは、チムニーの前にあった分岐点につながるものと思われる。洞の天井は次第に低くなり、8mほど行ったところで30cm程度になり、そのまま水平に続く。探検時にはスコップで洞を広げながら進んだ。

 分岐点を北へ進むと洞は水平に延び、そのまま水平につづく。天井には多数のボアパス状のドームがあるが、上は砂がたっまっている。洞は15m進んだところで行き止まりとなる。分岐点より北に10mの地点左側に、更に奥へのルートがある。天井は再び低くなり、入ってすぐの地点に高さ8mのドームがある。5m進むと左手に登る支洞がある。支洞はキーホールパッセージで、途中分岐しているが、最後は、激しいカーブで奥へ行けなくなる。天井は徐々に低くなり、10mぐらい進むと狭くて先へ進めなくなる。

洞全体を通して、洞窟生成物の発達は悪い。タコツボホール北の支洞や、十字路の上層部に見られる以外は、全くみられないと言える。獣骨としては、チムニー前の分岐点を6m進んだ地点で、シカの仲間の左脛骨を、ナウマンホールでナウマン象の上顎臼ラメラを2個、奥の傾斜ノッチの南へ登る支洞でタヌキの頭蓋骨を発見した。(戻る