小沢義明博士について

逆転構造の発見のいきさつ

 大正時代のある日、秋吉台の一角の立った小沢氏は途方に暮れた。広い草原はどこから手をつけて良いか分からなかった。しばらく、座禅を組んで、考えることにした。しかし妙案は出てこず、とにかく真北に向かって調査を始めた。フズリナ化石を見ながら北へと進んだ。4kmぐらい進んだ所に、巨大な窪地が現れ、その底に向かって降り、進むことになる。そこには、じつは大発見が待っていたのである。そこが帰り水である。
 小沢博士は東京帝国大学の学生時代に、当時石油採掘のため研究が盛んであったフズリナ化石の研究のために秋吉台を訪れたのであった。当時バスはなく、人力車で小郡から来た。座禅を組んだ場所には後に秋吉台科学博物館が建設される。小沢博士の調査の手伝いをしたのは、地元の恵藤一郎氏で、同時から洞窟調査など幅広く秋吉台の学術研究に取り組んだ知名士で、秋吉台科学博物館の初代館長になる。
 初代館長の恵籐氏により建設地が選定されたからである。恵籐氏は小沢博士の推薦で日本地質学会の会員にもなり、会誌に洞窟について報告しいる。小沢博士から恵籐氏に送られた地質図も当館に保管されている。

小沢博士の略歴

 明治32年 3月31日山梨市日下部町(旧東山梨郡日下部村)に生まれる。
 大正9年  7月第一高等学校卒業後、ただちに東京帝国大学地質学科へ入学。
 大正12年 3月同卒業、4月東京帝国大学助手に任ぜられ理学部地質学教室勤務。
 大正13年 4月東京帝国大学講師に任ぜられ地質学第二講座室担任。
       論文「日本二畳石炭紀石灰岩の区分の就いて」。
       論文「秋吉台石灰岩を含む所謂上部秩父古生層の層位学的研究」。
       上記2論文により、東京地質学会より学術奨励金を与えられる。
 大正14年 5月東京帝国大学助教授に任ぜられる。
 大正15年 3月論文「古生代後および中生代末に於ける日本内帯の地殻運動」
       上の論文により、理学博士の学位を授与される。
       5月帝国学士院恩賜賞を授けられる。
 昭和2年  3月文部省より在外研究を命ぜられる。5月に渡米。
       シャロンにてカッシマンしと共同研究。
       9月渡英。ケンブリッジ大学に在留。
 昭和3年  3月ヨーロッパ大陸各地巡歴。4月ウイーンに滞在。
       12月に再び渡米。カッシマン氏と共同研究を続く。
       傍らハーバード大学にて研究。
 昭和4年  8月2日帰国。
       12月28日逝く。 

 小沢博士は31歳の若さで亡くなりましたが、わずかの期間にたくさんの研究をされ、秋吉台を世界的に有名にし、古生物の研究の基礎を作られました。
 フズリナ、サンゴ、こけ虫などの化石研究を行い、特にフズリナ化石の分類体系やその生層序の確立により、秋吉台は日本の古生層を代表する模式地となりました。
 秋吉台が特別天然記念物に指定されるにいたった経緯は、小沢博士の研究成果の重要性によるものが大きく寄与しています。また、博士は日本で最初のカルスト地下水系の論文も公表されています。