山口県文化特別功労賞受賞
「古川 薫」先生 インタビュー
(聞き手)
 本日はお時間をとっていただきまして、有難うございます。今年度、山口県文化特別功労賞受賞おめでとうございます。そこで、ずっと長府にこだわってらっしゃる先生を、是非「壇具川(長府観光協会機関紙)」で皆さんに紹介したいと思いましてお伺いさせていただきました。
(先生)
 有難うございます。
(聞き手)
 先日、長府中学校でお話をなさったということをお聞きしましたが、やはり子供達に何かを伝えたいという思いからでしょうか?
(先生)
 子供達が長府の歴史や、土地柄、地域社会のことを調べているというので、それは素晴らしいことだと思い、行きました。長府というのはこんな素晴らしい歴史があって、素晴らしい自然があって、こんないい街は他にはないと思うし、皆さんそういう所に暮らしているのは幸せに思わないといけませんよ、ということを話ししたら皆こういうことに共感してくれました。そして先生がみんなに感想文を書かせたんですね。みんな僕の話をよく聞いていて、やっぱり長府は素晴らしいところだと思ったという感想を書いたのを送ってきました。やはり子供たちが長府というところで本当に健やかに育っていくだろうなと感じを持ちましたね。
(聞き手)
 先生は常に地元にこだわり、上京なさらないで執筆活動をなさってますが、長府にこだわっている理由や、何か思いみたいなものがおありでしょうか?
(先生)
 まあやはり、大きく言えば山口県の歴史、風土というものが僕の文学活動にとっての大きなエネルギー源ですよね。この長州の空気を呼吸することは、僕にとっては生きる糧になるわけです。
 はじめ頃は東京に出たかったんですよ。それは、日本の今の状況というのは明治維新あるいはもっと以前から、江戸時代だったら江戸へ出なきゃ文学とか何とかというのはない、明治以降でも東京でなきゃ何にもできないといわれてきたんですよね。実際の話、僕らの若い頃でも東京一極集中でしたからね。東京でなきゃ、文学で飯を喰うようなことができないといわれた時代でしょう。だけど東京に出て、のたれ死にするような、結局なんにもならんで帰ってくるとか、向こうでつぶれてしまう人とかいましたからね。僕なんか自信がなかったからね、東京に出ずにこっちで我慢しているうちに、だんだん日本の文化状況が変わってきてね、早くいえばどこにいてもいいんだと、どんな地方にいても何かやろうと思えば、そこで目的が遂げられるという時代がようやくやってきたんです。
 やっぱり自分の故郷に腰を据えてやるっきゃないじゃないかと、まあそういうことで、今度県から、ああいう賞を頂いたのはとても嬉しいんですよね。まあ、やっと報われたなという感じがしましてね。これからいつまで生きられるかわからないけれども、この長府で腰を据えてやろうと思っているんです。
長府にはオーラのようなものがあると思うんです。だから居住地としては最高の所だと思ってます。
 長府はまだ城下町が残っているし、しかも海は見えるし、関門海峡から周防灘ってね、こんな素晴らしい自然に恵まれた土地ですよね。昔から、長府は貴族が創った街でしょう。そういう貴族的な部分も残っているし、しかも貴族が創った国風の上に、今度は近世の美学で創った城下町がのっかているわけでしょう。僕がいうオーラがあるというのはそういうことなんですよ。それは、今、昔、貴族がここ、長門の国をここにしようと選んだところでしょう。昔の人は何もわかっちゃおらんというのは現代人の思い上がりで、あの頃の人の知恵というのは凄いんですよ。低い山を背景にして南が海に開けた土地っていうここの地形は、風水学からいっても素晴らしい。
 一千年前くらいの人が選んだものがね、遺産ですよ。だから大事にしなければいけない。故郷をね。
(聞き手)
 今の子供達や、今後の長府について御意見やお知恵があれば是非お聞かせいただきたいなと思いますが。
(先生)
 長府はいわゆる古い街でね、古い街というのはちょっと保守的な所もあるわけなんです。短所として。また、いいところもあるんです。保守ってのは古い良さを残していこうというものと。しかし、そのままじゃいけないね、そのままのカタチで新しいものを作っていかなきゃいけないんでね。
 だから今、長府の商店街がシャッターを下ろしていきますね、あれなんか何かいい方法があると思うんですよ。そのまま街がゴーストタウンになっていくはずはないんです。長府というのはオーラがあるんですから。だから一つみんなが知恵を集めて活性化することを考えなければいけないと思うんです。
 で、今の子供達がみんな遠くに逃げていくんではなくて、ここに居たいという素晴らしい街を創って、若い人と一緒になっていい街づくりをしなきゃいけないんです。
(聞き手)
 長府に誇りを持ちたいですね。
(先生)
 そうそう、こうやってこの長府に暮らしていることに誇りと喜びを持って、街をもう少し活性化して行くにはどうしたらいいかというのは一つみんな真剣に考えていかなければいけないと思うんです。
(聞き手)
 そういう意味では観光協会の役割というのは凄く大切ですよね。
(先生)
 僕はこう思うんですよ。今、長府には観光客が実際に増えつつあるでしょう。もう、昔は日曜日なんか一時間歩いてもあまり人に合わないようなところだったのが、今は日曜日だったらあちこち旗を持った人が連れて歩いているでしょう。そういう人たちがただポイントだけを歩いてさっとどこかに行ってしまうのではなくて、人の流れを作らないといけないと思うんですよ。
 今は、忌宮神社、乃木神社そして功山寺くらいですが、もう一つの流れを作るにはどうしたらいいかといったら、例えば乃木さん通りがありますね、いい街が出来てますね、江戸時代のような。あれを活かさないと。他には、お土産物屋があるとか、長府城下博物館とか。そうそう、そこに行ったら長府の城下時代の金物のものがあったりね。金屋町あたりに作ったら覚苑寺が繋がってくるわけですよね。
 そうすると流れが出てくるでしょう。一番大事なことは人の流れですよ。
(聞き手)
 そうですね。それから今、博物館のことが出ましたけれども、長州砲にこだわってずっとずっと探してくださって、パリから持ってきてくださって、本当に感謝しているんですけど、今度、今また博物館の問題が一つ出ておりますね。いまちょっと棚上げになっておりますが。
(先生)
 やはり長府に欲しいですよね。長府という土地柄にしても、歴史博物館というのは当然なきゃいけないですね。だから僕は、この間あんなところに、誠に残念でね。僕としては、長府は大仕掛けなものはいらないと思うんです。一つあるでしょう。今現在、博物館が。あれを取り除ける訳ないんだから、あれを分館にして、本館だったら、あんまりどでかいものでなくてもいいし、この間の長府庭園の隣りでも僕はいいと思うんですよ。長府の街並みにあったデザインで、二階建てか三階建てにすればいいんだから。
 そして、駐車場としては、美術館の駐車場も使えますしね。エレベーターがある三階建てぐらいの博物館はどこにでもありますよ。最高の所だと思いますよ。あそこをもう一回復活してね。
 場所からいっても、交通の面からいっても、一番いいところですよね。
(聞き手)
 80才になってもお元気な先生の健康の秘訣を教えてください。
(先生)
 別にないけど、抵抗しないといけませんよ。素直じゃいけん。素直な人は“60になったな〜”、“もう70になったな〜”と納得するわけですよ。それじゃいけんのですよ。“俺は70であるはずがない”とか、“80であるはずがない”って思うことが大切です。
(聞き手)
 運動はされるのですか?
(先生)
 運動はあまりしない。少し歩かないといけないと思うんですけどね。(笑)
もうタクシーばっかり使うでしょう。だからね、今年から少し歩こうと思ったんです。
帰りの坂道ぐらいをタクシー使って、あとは少し歩かなければいかんと思っておるんです。
(聞き手)
 今、毎日新聞に、乃木将軍の「斜陽に立つ」を連載していらっしゃいますよね。
(先生)
 絵がなかなかいいでしょう。それとこの間ね、乃木神社に行きましたという人がいました。多少、乃木神社も参拝客が少し増えるといいなと思うんだよ。
(聞き手)
 歴史物を調べるのは大変だと思いますが?
(先生)
 いや、それも楽しみの一つですよ。苦しいというのもね。
(聞き手)
 今、まだ他に連載とか温めてらっしゃるものが……。
(先生)
 まだたくさんね。もう百年くらいほしいですね(笑)。書ききれんほどありますからね。
(聞き手)
 俳人である奥様とは、よくお話しはなさるんですか?
(先生)
 まあ、よくだべったりしますね。時々交わるところがあるわけですよ。僕の小説であり、歌でありね。
 今日も家内と話したことは乃木さんの詩のこと。乃木さんの「山川草木」からはじめて、乃木さんの詩のことを調べよるんです。いろいろ乃木さんの書いたものを、ちょっと待って辞書引いてみるからとか、そういう話しもたまにはします。
(聞き手)
 軍人である以上に学者であり教職者であり、素晴らしい軍人なんですね。最後に先生からメッセージをお願いします。
(先生)
 ありふれた言葉だけど“夢”ですよ。とにかく夢ですよ、それが老けない秘訣です。年をとるとだんだん夢を持てなくなるんですよ、だけど、やっぱり、いつも夢を描いておくというのがエネルギーになる。だから、一つ夢を持って。
(聞き手)
 これからますますのご活躍と、作品を楽しみにしております。本日は貴重なお時間をいただきまして、本当にありがとうございました。
略歴:プロフィール  1925年(大正14年)下関市に生まれる。山口大学を卒業。山口新聞編集局を経て1970年(昭和45年)から文筆生活に入ります。
 1965年「走狗」で直木賞候補になって以来、74年『女体蔵志』、75年『塞翁の虹』、78年『十三人の修羅』、79年『野山獄相聞抄』など候補にあがり、91年オペラ歌手藤原義江の一生を描いた『漂泊者のアリア』で10回目にして直木賞受賞。近作では『軍神』『覇道の鷹・毛利元就』『花と嵐と〜女優田中絹代の一生〜』などがあります。日本文芸家協会会員・日本ペンクラブ会員。
 上記以外の主な作品 『高杉晋作』(新潮社)、『毛利一族』(文藝春秋)、『天辺の椅子』(毎日新聞)、『留魂の翼・吉田松陰』(中央公論)、『松下村塾』(新潮選書)、『剣と法典』(文藝春秋)、『幕末長州藩の攘夷戦争』(中公新書)など
最後に
“もう百年”の歳月を本州の西端、下関から渾渾(こんこん)とわき出てくる文学の泉があり、その源泉を尋ねていけば、長府羽衣町にたどりつきます。源泉は、なお旺盛であり、清新であり、全国に向けて泉の香気を発信し続けています。
 私たちの「古川 薫」さんは、超人です。超人でありながら、さらに進化し続ける超・超人です。最新の出版物に『わが長州砲流離譚』(毎日新聞社刊)と『望郷奇譚』(文芸春秋社刊)がありますが、特に後者は、読者を夢心地にしてくれる魔術師の文体です。インタビューにもありましたが、敬愛する古川 薫先生に“もう百年”の歳月を贈呈したいものです。               
長府浜浦町 元下関市立図書館長 野村忠司


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