00/2/16

歴史5

建国記念の日

2月11日は建国記念の日で、神武天皇が即位された日であるとされていますが、記紀には次のように書かれています。

古事記

かくの如くにして、荒ぶる神たちを言向 (コトム)け平和(ヤハ)し、伏(マツロ)はぬ人どもを退け撥(ハラ)ひたまひて、畝火 (ウネビ)の白檮原(カシハラ)の宮に坐(マ)しまして、天の下を治(シロ)しめしたまひぬ。

日本書紀

辛酉年(カノトノトリノトシ)の春正月(ハルムツキ)の庚辰(カノエタツ)の朔(ツイタチノヒ)に、天皇、橿原宮(カシハラノミヤ)に即帝位 (アマツヒツギシロシメ )す。是歳(コトシ)を天皇の元年(ハジメノトシ)とす。

古事記は神武天皇が賊どもを平らげて橿原の宮で国を治められたとしか書いていませんが、日本書紀は天皇が辛酉の年(BC660)の1月1日(現在使われる太陽暦では 2月11日にあたる)に橿原の宮で即位され、この年を神武天皇元年にしたと書いています。今年は皇紀2660年ということになりますが、このことについては歴史2で述べたように、多少の作為があるようです。

どの国でも古代のことは伝承と歴史が混在していて、よく分からないものです。たとえば 5000年の歴史があるといわれる中国では、三皇五帝とか夏王朝とかは、実在したかどうかよくわかりません。次の殷王朝は発掘物などから実在したと思われますが、正式の記録はありません。漸く前5世紀になって、孔子が編年体の「春秋」を著わし、魯の隠公元年(BC722)以降のことを記録しました。そうして引き続き立派な正史が出るようになりました。わが国では奈良時代になって、まず語り部の言い伝えを記録した古事記が作られ(712)、続いて中国の正史に倣って編年体で日本書紀が作られました(720)。このとき私達の祖先は中国の歴史に負けないように、精一杯頑張って多少の作為をしたのでしょう。

私は日本古代史を研究する立場からは、できるだけ作為を取り除きたいと思いますが、日本人としては祖先の仕事をそのまま認めてやりたいと思います。すなわち、作為を理性的には非とし、心情的に是とします。

結論ーーー私は心情にしたがって、建国記念の日を素直にお祝いします。 

 

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