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カルスト草炎太鼓とは!

 

◇団体の名称        カルスト草炎太鼓(かるすとそうえんだいこ)

◇発足                  昭和63年4月1日

◇活動の理念        地域活性化、人間活性化の実践

◇キャッチフレーズ     我等地域の応援団

                   〜地域に音を、地域ににぎわいを〜

◇本拠地                 山口県美祢市秋芳町秋吉  秋吉公民館内

◇会員                  40名(21.2.9) 

◇役員            代表   初代           事務局長   初代         

                       2代目                    2代目   

                       3代目                    

                         4代目  吉屋康男 

◇活動範囲               どこまでも、いきます。

◇師事する団体             志多ら

◇これまでの活動記録     別掲

◇活動歴史の紹介文    「我等地域の応援団」・・・別掲          

◇会の規約           別掲

◇後援組織          カルスト草炎太鼓の継承と発展を考える会

                  初代    会長 大庭諦道氏
                  二代目  会長 前田耕次氏

◇活動内容          秋吉小学校太鼓指導

                  秋芳南中学校太鼓指導

                                          草炎桜まつり主催

◇演奏の依頼は       連絡先・・・・・・山口県美祢市秋芳町秋吉  秋吉公民館内

                            TEL 0837−62−1924 

              

    『我等地域の応援団』

目  次

1.  胎動                                                                          2.  準備                                                                          3.  発足
4.  命名
5.  練習場                                                                        6.  ふるさと創生                                                                    7.  プレゼント                                                                         8.  衣装                                                                          9.  活動開始                                                                         10.山口県植樹祭                                                                     11.スランプ                                                                         12.第35回全国自然公園大会                                                             13.継承                                                                           14.「秋吉地区納涼夏祭り」、「観光まつり」等                                                    15.「地元学」の教育                                                                    16.山口きらら博                                                                       17.きらら博メモリアルイベント                                                             18.国民文化祭                                                                       19.威吹演奏の会のつながり                                                                                                    20.和太鼓団体 (資料:山口県内和太鼓団体)
21.国際交流
22.国際芸術村
23.「志多ら」
24.花まつり
25.創るーー「草炎桜まつり」
26.太鼓の曲
27.道具;太鼓
28.代表
29.悩み
30.課題
31.「我等地域の応援団」
32.受賞
33.太鼓村構想

34.創造する力
35.人財
36.時代をふりかえれば                                                                 37.サポーター
38.これから
39. 市町合併                                                                                               40.ご声援をよろしくお願いします!

1.胎動

 地域を盛り上げたい、、、そのための何か「仕掛け」を興したい、、、、その「仕掛け」として、住民に対する求心力のあるものは、、、何かないだろうか。

 このようなものを探求する過程で、ひとびとを無条件に引き寄せるであろうものとして、伝統的な、という視点から、調査を試みた。そして、いわゆる「伝統的」なものといえるような、ある程度は規模が大きく、永年続けられてきているといったもの、そのような文化財的、伝統的行事の類のものが山口県美祢郡秋芳町秋吉地区、秋吉地区には、見あたらないことに思い悩む者がおりました。

 町内を見渡すと、嘉万柏木地区には「八代岩戸神楽」、嘉万地区の中心地域には「嘉万風鎮祭」、別府地区には「別府念仏踊り」、そして岩永地区には「大行事」等々、他の地域には各々の地域の伝統的、文化財的行事、財産が残されていて、それがこんにちも続けられてきております。そこに住み暮らす人びとにとって、必要なもののひとつに、無条件で、なんの気にすることもなく、人の輪の中に溶け込んでいける仕掛け、雰囲気が、自然な状態で存在することがいるのです。それが、いわゆる「祭」であり、地域の人が、みんなで作ってきた伝統的行事なのです。住み暮らす人びとがなんのわだかまりもなく、うち解け合える場所が、いるのです。いつの時代になっても。

 地域を盛り上げたいが、そのために、伝統的な行事をきっかけとしたいが、、、秋吉地区内で伝統的、文化財的なものがあるのかとその現状を見るが、探しても、それらしきもののない、、、、時の秋吉公民館主事H.Y氏は思いを変え、「この地域の伝統文化となるものがほしい。ないのであれば何か創り出そう!」と動き始めたのでありました。  (戻る)

2.準備

 当時の公民館主事らは、秋吉公民館運営審議会とともに調査活動を開始しました。県内の「和太鼓グループ」を訪ねて歩きました。当時は県内を見渡しても和太鼓チームというものは数少なく、和太鼓の演奏グループというものが珍しい中、伝統的和太鼓グループとしてどっしりと存在していた豊田町の和太鼓グループを研修視察しました。

 結成前の半年間には、道具の太鼓の確保に、太鼓の曲の確保、指導者の確保、メンバーの確保、衣装の確保に太鼓の練習とたいへんあわただしいものでした。

 練習は古タイヤや樽を利用し、指導者としては、山口から「カラオケ教室」の先生、有川先生との出会いがありまして、その方を先生にお迎えし、そしてその先生に作曲もお願いして、作ってもらった曲を練習、、、というか覚えるという練習にはげんだものでした。

 道具として、本物の太鼓は、自住寺に使われないであった古い太鼓をお借りしました。自住寺の協力で、お寺にある太鼓1台をお借りでき、実際に太鼓をバチで打つことで太鼓の感触を確かめたものでありました。

 道具である太鼓の導入は4月以降のことで、、、、 そのうち、日本生命財団の助成をお願いしての、中太鼓5台(一尺四寸)を手にすることができました。これにより、太鼓グループとしての体(てい)をなんとか形つくっていったものでした。(戻る)

3.発足

 秋吉地区を活性化したい、、、、そのために伝統となるような「なにか、」を作り、それにより地区の人々の求心力を高めること、また、秋吉地域のアイデンティティーをもちたい、及び地域住民活動の活性化のための呼び水としたいといったことが当初の動機でありました。それには、『和太鼓』が、人々にいちばんなじみのあるものであり、日本人にとって伝統的なものであり、「和太鼓」、これにしようと、昭和62年度、「和太鼓団体を結成」するべく、時の秋吉公民館主事Y氏の呼びかけに、公民館運営審議会も同調して立ち上がり、そしてそれに共感する地元秋吉地区の若者有志7名が集まったのでありました。会員募集が公民館広報で行われましたが、その表紙を飾ったモデルは2人。当時43歳と41歳のK.KさんとN.Kさんでありました。

 かくして、昭和63年4月、秋吉地区に創作和太鼓の演奏集団が発足したのであります。発足式での初演奏は、ご尽力をいただいた大庭和尚さんのお寺、自住禅寺で行われました。(戻る)

4.命名

 そして、その創作和太鼓演奏集団は、日本最大のカルスト台地、(いまでは全国的にも少なくなってきている『草原』を、地域の人々が山焼きをしながら維持している。)「秋吉台」で、650年もの昔から続けられている「山焼き」に因んで、地域の方々から『カルスト草炎太鼓』と名前をつけていただいたのです。公募の中で『草炎太鼓』が選ばれました。それを提案された方は、S.K氏であります。賞品として、大理石の花瓶が贈呈されました。そして公民館運営審議会での協議で、『カルスト』という言葉が付け加えられて、結果として、『カルスト草炎太鼓』という名称が決まったのでありました。良い名前です。みんなでこれを大事に、どこまでがんばれるか、、、、将来へ思いを馳せるのでした。(戻る)

5.練習場

 練習道場としては、秋芳町高齢者コミュニティセンターの大広間の使用許可を受けました。

 練習時間は発足当初から毎週日曜日と水曜日の夜8時から10時まで行っております。平成4年ごろから子供会員の入会もあるようになり、子供達会員が増えてからは、8時から9時までが、第一部子供対象練習時間、もちろんおとなも一緒ですが、9時から10時までは、第二部おとな練習時間としております。

 この形は今も続いております。20年間、毎週日曜日、水曜日の晩には、会員は同センターに集まり練習を重ねてきているのであります。週2回の年50週。年間100日、一年の3分の一は会員同士と顔をあわせているのでありますし、会員は、年間100日、一年の3分の一は太鼓と向き合っているのであり、まさに太鼓漬けでの人生に燃焼しているのであります。

 道具であります太鼓の収納場所としても、コミュニティーセンターは使わせていただけることになりまして、コミュニティーセンターの舞台は、太鼓が占領しております。また、太鼓活動に伴う、ワゴン車等、車の利用についても、何かと便宜を図っていただいております。さらには、太鼓活動としてのミーティングの場所として等々、太鼓は、秋芳町高齢者コミュニティセンターを存分に活用させていただいております。

 コミュニティーセンターがあればこそ、我々の活動がここまでやってこれたと思っているところであります。本当に有り難いことであります。(戻る)

6.「地域づくり」と「ふるさと創生資金」

 県内の和太鼓チームは、いわゆる”ふるさと創生”で全国の市町村に配られた資金(一億円)により、ぞくぞくと、雨後の竹の子のように生まれていきました。多くの地域で、ふるさとを活性化したいという思いから、和太鼓が選ばれて行ったのです。それは平成2年以降のことでありました。

 我々、カルスト草炎太鼓は、その”一億創生”資金が配布される前の昭和63年に、「地域作り」を目指して発足したものであり、”一億創生”資金という、お金があるから作ろうかとして生まれたものではなくて、地域の熱い思いから発足したものです。

 全国には、各所で、「地域」が熱中するものをもっている。たとえば、三重県の「馬の駆け上がり」。くじであたった若者が、晴れての権利を得て、二メートルの土手を馬で駆け上がることに挑戦する。この行事で、地域が一体となり、つながる。若者は、このために地域に残ろうと思うとか。人間の人生というものは、「地域」を楽しくするために「なにか」の活動していくことが必要であって、そのような認識で動いて、「なにか」を実践できたら、それに超したことは無い。。「地域」に暮らすものが、このような「なにか」に、皆が取り組むような頼もしさのある様子であるならば、まさにいきいきとした「地域社会」が、生まれるものであると思って、、、、地域のひとびとを眺めるのであります。

 ひとびとは、暮らす生活のエリアがある。それは行政区で主に分けられてしまうが、そのエリア内での人々との生活人生が、前述の行事で一体となるのであります。なんでもいい。地域みんなが、やろう、と意識を集中していっているところは、面白い生活地域となるのです。「地域作り」は住んでいる者、ひとりひとりのテーマなのです。

 「ふるさと創生資金」は、全国津々浦々に、「地域作り」を考えさせてくれたものでありました。 (戻る)

7.プレゼント

 ”ふるさと創生”資金からのわれわれへのプレゼントが、大太鼓です。

 ”ふるさと創生”資金の秋芳町での一番最初の使い道は、大太鼓の購入でした。

 このときは、時の町教育委員会社会教育課長S.S氏の、『とにかくおおきな太鼓を買ってやる!探してこい!』というありがたい言葉により、太鼓メンバーが探し回り、見つけた物がいまある大太鼓です。直径3尺3寸、600万円、重さ250キログラム。4人では持ち上がらない。5人でも、やっと。6人でなんとか持ち上がる。

 それは福岡市内の太鼓店にありました。われわれにとってありがたいプレゼントであり、われわれの自慢の太鼓です。秋芳町から、2トン車を走らせて、高速を通り、6人は胸躍らせ買いにいったものです。福岡市内にあります「梅津太鼓店」でした。

 いまでも、大太鼓を自分たちの物としたあのときのうれしさは忘れ得ません。この大太鼓ですが、皮を張り替えようとした場合、1枚150万円、2枚で300万円は、かかるであろうということです。大いに活躍させながらも、大事に、慎重に、使っていこうと思っています。(戻る)

8.衣装

 衣装については、初代は会で考案、カルスト高原の早緑を連想して、緑いろの股引き、緑いろの腹掛、緑いろのねじりはちまき、緑いろのリストバンド、白足袋、白のTシャツというものでありました。通称「かっぱ」と呼んでいます。

 2代目は、平成2年ごろであり、山口芸短大学の先生の考案でリンドウの色を連想した紺いろとして、形は作務衣で、紺のねじりはちまき、赤い帯、紺のリストバンド、白足袋であります。

 平成5年からの衣装は3代目で、会員で考え、同じくリンドウをイメージして背中にリンドウを図案化し、本格的染物屋さん(京都;黄瀬法被店)にお願いして、薄紫に染めた法被、紺の腹掛、紺の股引き、紺のリストバンド、白のはちまき、白足袋です。

 そしていま4代目の衣装を平成18年10月、国民文化祭にあわせてつくりました。背中にやはり「リンドウ」の図柄をあしらった物で濃紺です。(戻る)
 

9.活動開始

 カルスト草炎太鼓は、これまでに町内、町外(遠くは宮崎県、宮崎県グリーン博での山口県の日、山口県からの依頼で行ってきました。)を問わず、ほんとに数多くのイベントへ積極的に参加してきました。

 初年度とは言っても各方面から演奏依頼が多くはいってきました。メンバーはカラオケの先生が作曲のひとつの持ち曲を持って演奏にでました。

 平成元年春に、会員のひとりが新曲「草炎」を創りました。やっと自前の曲が持てたのでした。1曲で20分あるものでしたが。

 太鼓の曲を、練習し始める最初の思いは、果たしてどのくらいの時間をかければ覚えられるものであろうかというおおいなる不安でした。ましてや20分もの曲であると。しかし、何回と無く、とにかく打ち込むことで、覚えられるものでした。太鼓の曲の楽譜があるのですが、最初のうちは、頭の中で楽譜を追っているような状態でした。演奏途中、楽譜が頭の中で、飛ぶと、もうそこからわからなくなるといったことがしばしばありました。が、そのうち、そういうこともなくなり体が動くようになるのでした。覚えられるだろうか、と思っていたものがいつのまにか、体が覚えていました。(戻る)

10.山口県植樹祭

 平成元年度が始まるとまもなく、平成2年4月、出来たばかりの秋吉台家族旅行村で山口県植樹祭が開催されるということが明らかになりました。時の担当者から、太鼓をぜひ演奏してほしいとの申し出がありましたので、メンバーに秋芳南中学校の生徒2,3年生150人と秋吉保育園年長児40人を加えての演奏体形を提案、『カルスト草炎百人太鼓』と称して、1年間の練習をこなし、我々にとって、はじめての大きなイベントもいい経験となり、無事植樹祭を乗り越えました。

 平成2年には、各方面から演奏依頼が多く入ってきました。他に太鼓グループがなく、珍しかったためでした。メンバーは夢中でそれに答えていきました。会が発足して、多くのイベントで演奏し、また、県の植樹祭をこなし等々により3年間があっという間に過ぎました。(戻る)

11.スランプ

 が、太鼓シーズンも終わりの年の瀬、メンバーには太鼓への取り組む姿勢がこのままでいいのかとわからなくなりました。勉強したい、太鼓というものの勉強をしなければという欲求がわいてきました。

 ちょうどそのころ、11月頃でしたか、NHKテレビで「人間いきいき」という番組をみました。和太鼓に取り憑かれた男(吉村城太郎先生)の物語でありました。とことん太鼓が好きという、トラックの運転手をしながら資金を稼ぎ、太鼓活動に人生を費やしているプロの和太鼓チームをつくったばかりの人だった。ここに行こう。話を聞こう。最先端を見よう。。。。。みんなは肯いた。

 アポをとり、平成3年2月にメンバーの内4人(Y・T、T・S、Y・Y、I・S)が愛知県北設楽郡東栄町東薗目、、、、廃校となった小学校を拠点する太鼓衆「志多ら」を訪れたのでした。名古屋駅まで出迎えに来てくれました。そこから車で3時間。3日間の滞在だった。行ったその晩は、ミニ和太鼓演奏会と、先生が指導している和太鼓団体「松平和太鼓保存会」の練習を視察、志多らの演奏会、本拠での朝から晩までの練習をみた。カルチャーショックであった。

 行ったものは和太鼓の奥の深さを感じとった2泊3日の研修でありました。夜、宿での話は、見たもの、事が酒の肴でした。大いに盛り上がりました。東栄町中心にある旅館で、、、地酒『鬼ころし』が、?升空いてしまいました。土産に持って帰ろうとしていたものも空いてしまいました。

 帰ってからの練習は熱のこもったものになりました。練習の指導に月1回志多らの吉村先生に秋吉まできてもらうことにもしました。バチの持ち方、振り方、かまえから習った。先生の指導で「草炎」という曲がちがう曲のように聞こえてくるのでした。

 先生には、3年数ヶ月、秋吉に毎月きてもらいました。毎月、1回日曜日の夕方、小郡に迎えに行って、秋芳館のホテルに泊まってもらい、翌、月曜日に朝、小郡駅まで送っていきました。数十回もの回数来てもらいました。迎えに行く、送っていく、車中で、喫茶店で、先生といろんな話ができましたことは、最高のひとときでした。小郡駅で、太鼓、すなわち人生について話し込むことができました。駅へ送る者の特権。(戻る)

12.第35回全国自然公園大会

 平成3年度の後半、こんどは平成5年7月に秋吉台家族旅行村で全国自然公園大会が開催されることを聞いたのでした。

 ご成婚された皇太子様ご夫妻がご臨席されるとのこと。はじめての国内公務となるとのことでありました。

 実施計画を立て、この大会式典のアトラクションの二つあるうちのひとつをぜひ太鼓にまかせてくれと頼んだのでした。県植樹祭をこなしたという思いがありました。今回も出来ないはずはないと。

 もう一つは、町が、こどもの活動がほしい、マーチングバンドをとりいれたいと、町教育委員会篠田教育長自ら町内学校へとあたられた結果、嘉万小学校が引き受けられることになりました。さっそく嘉万小学校には、専門の音楽の先生が指導の為赴任されてこられました。マーチングバンドは、専任の先生による仕事としての指導体制のもと進められていきました。

 マーチングバンドは、嘉万小学校、つまり北部にある学校が引き受けてくれたことが幸いでした。おかげで、南部の方を対象に、太鼓でアトラクションを企画するチャンスがあったのでした。

 いち小さいグループ、カルスト草炎太鼓の、この申し出を受け入れてもらえるかどうか。はたして、申し出は、受け入れられたのであります。平成5年、秋吉台家族旅行村で開かれる「第35回全国自然公園大会」、このときのアトラクションのひとつはわれわれが企画、構成、指導、練習といっさいをまかされました。こちらは、仕事を休んでのボランティア的活動でありました。町から見ると、たぶんに、大丈夫だろうか、、と、不安があったものとみておりますが。。。。。。

 平成4年4月から動き始めました。大会当日の構成は、秋吉保育園年長児、秋吉小学校児童全員、秋芳南中学校生徒全員と会のメンバーという合計350名であります。平成4年4月から練習は開始しました。秋吉保育園年長、年中60人、秋吉小学校児童全員110人、秋芳南中学校160人、カルスト草炎太鼓20人の総勢350名で、山焼きをイメージした曲「草炎」を演奏するというものでした。

 練習は平成4年4月からはじまり、1年と4ヶ月続きました。

 南中、秋小、下郷小、本郷小、秋吉保育園と毎週の月、火、水、木、金の午後は、太鼓を車に積み込んでは出掛けていっておりました。

 コミュニティーセンターで秋芳町社会福祉協議会のワゴン車に中太鼓5台、締太鼓5台を積んで出掛け、学校で下ろし、学校での練習が終わればまた積んで、コミュニティーセンターへ帰ってきてまた下ろし収納する。練習は、すなわちこれの繰り返しでありました。これが、S氏の毎週、月から金曜日、午後の日課でありました。

 下郷小、本郷小への練習というのは、平成4年には6年生、つまり平成5年に南中の一年生になることから。平成5年には、下郷小、本郷小というのは、1年生を。つまり平成5年に、年中、年長というのは、平成4年には、年少、年中、年長であります。

 S氏は、夜は、コミュニティーセンターで、7時から中学生の太鼓を受け持つ生徒に指導を1時間ほど、週2回。その後の2時間はおとなの練習を。とにかく1年4ヶ月、太鼓漬けの日々でした。約10分間のために1年4ヶ月。。。。。S氏には、仕事との両立は、ほんとにたいへんなものでありました。夜のまともな食事は、往々にして、抜けることが。食べずの練習活動が続きました。1年4ヶ月。。。。。

 保育園、秋吉小、南中に加えて、平成5年の南中生となる本郷小学校の6年生、下郷小学校の6年生のところと計5カ所に指導に赴く。月曜から金曜日の5日間、午後、練習の指導にいく日々。

 会員の中に、町の職員もいるのですが。学校等へと指導にいく中で、会員である町役場職員は、公務員法でのいわゆる『職務専念義務免除(職専免)』申請を出してくれといわれ、それを申請しての活動だったということでした。このことで感じてきたことは、まちの活性化を必死で考えなければならない役場の職員が、地域の活動を積極的に進めていこうとするとき、これがなぜ「職務」とはいえないというのだろうかとの疑問であります。それぞれ事務分掌を与えられ、それをきちんとやっていくことは、町民のためにあたりまえのことでありますが、問題は、その事務分掌の中に、「地域の活性化のための活動」という一項目がないことにありそうです。職員ひとりひとりにそれが与えられていることにより、職員が立ち向かうべき課題として、意識として地域のために、と、なにかを考えだし、行動に移すなり、なんらかの動きを起こさざるをえないであろうと思います。現実は、事務分掌をこなすだけで、町民のための存在である職員としての用務が済んだ、という認識で終わっているように思われます。

 そして、夜は中太鼓、締太鼓を担当する中学生を集めて練習を毎週1回。会員の練習は毎週水曜、日曜日も。平成4年4月から平成5年7月まで続く。

 曲は会が演奏していた「草炎」という山焼きをイメージした曲を先生に締め太鼓、中太鼓、大太鼓、竹太鼓の構成にアレンジしてもらう。先生により平成4年7月、20数分の「草炎」という曲が約10分くらいの曲へと編曲され、できあがりました。

 先生の来町指導日にあわせて、全体合同練習を全部で5回計画した。平成4年12月の合同練習、南中グラウンドで行いました。保育園、小学校、中学校、草炎太鼓の全員が集まり合わせてみようとしました。が、なかなかうまくいかずに、合同練習を終えました。2月の寒い日のグラウンドでの練習もあった。こども達には、特に保育園児には、たいへんつらい思いをさせたと思っております。2時間に及ぶ練習になります。保育園児は、立ったまま寝る子もいました。立ったまま、おしっこ、の子もいました。大会目前では、一回は雨の日の合同練習で、家族村に張られた大きなテントの中での合同練習。そして出来たばかりの太鼓専用舞台を使った合同練習も行いました。その都度にバスを何台も連ねての大がかりなものでありました。

 指揮は、もちろん草炎太鼓のものがとりました。満足のいく演奏となるかどうかは、最後まで煙のなかであります。計画はしたもののできるのか、単に無謀は計画なのか、ということが常に頭からはなれませんでした。気持ちは、平成4年暮れ頃から、四六時中が緊張状態になっていっておりました。

 当日がきた。

 雨が前日から降っていました。まず、式典が外で行われるか、それとも体育館の中での省略開催となるか、12時に決定されるとのことでした。本部には、出来るだけ外での開催を、外での開催の段取りで、とお願いをしました。子供たちは口々に、「ぜひ外で!」と叫んでいました。12時前でした。空が明るくなった。さて、どうなるか。決定は。。外での開催に決定されました。「よかった!」。1時式典が始まると雨は次第に大きくなってきた。太鼓にはビニールカバーをした。式典は進み、アトラクションとなった。最初は嘉万小学校のマーチングバンドである。それが終わり、そしていよいよ太鼓の出番である。雨は降る。雨は強くなっております。みんな雨の滴である。はじまった。350人の演奏する太鼓の音が大きく会場に鳴り響いた。(会場の設営として、左右に2本の長さ15メートルの大きな幟を設置。われわれは小さい普通のものしか遠慮して言っておりませんでしたが、予想外でしたが、最後に町長が、決断され大きな物になったのです。いまでも大事に持っております。さらに太鼓をセットする2段舞台を設置。下は横20メートル、奥行き10メートル、上は、横10メートル、奥行き5メートル。背後には4本の花火、上に向かって吹き出すもの。左右にキャノン砲といって、銀のテープを打ち出すもの。全面には、煙を出す装置を10か所、設置と、以上のようなセットをしておりました。キャノン砲を使うとか、花火をセットするとかはもちろん、警察当局に許可を受けております。がよく許可が出たとは、あとでの感想です。)スモークがたなびいた。雨の影響で、花火は4本のうち、ついたのは1本だけでした。最後にキャノン砲が、銀のテープを空中に打ち上げ、舞った。終わった。みんなはほとんどずぶ濡れであった。1年半の長丁場も終わったのでした。。。。。。みんなよくがんばった! 

 結婚された皇太子ご夫妻が初めての国内訪問先としてのこの大会でした。地元の最大限の歓迎でお迎えできたと思っております。

 (大会当日はあいにくの雨模様。式典は、雨が続けば体育館へとされると言うことでした。内だとせっかく1年4ヶ月の練習は、、、日の目をみません。が、外でか、内でか、の決定する頃に、運の良いことに、空がすこし明るくなってきたのです。決定は、外、でした。”やった!”会場にスタンバイしていたこどもたちから歓声が響き渡りました。しかし、式典がはじまりのころからあめがクレッシェンドに強くなっていくのです。ご挨拶が済み、出番です。そのころは、地雨模様なのです。太鼓には、それに備えて厚手のビニール透明シートをかぶせていました。子供達、保育園児ももうずぶぬれです。でも、そのなかで演奏は、みごとに集中力がこれまでの合同練習にましてありました。演奏が350人のしかも幅の広い年齢差の演奏が、みごとになしとげられました。)

 みんな 感動感激の笑顔で一杯でした。地雨でずぶぬれでありながら。たいへんなことでありました。それだけにいまでもこの感動は忘れ得ません。太鼓をやっていると感動感激がひとしお多く経験出来るのです。

 いち小さな太鼓グループが、たいへんな大きな事業を、ボランティア的活動で、成し遂げたのでありました。太鼓が好きという一途の思いだけの力で。無償の思いで。成し遂げる事が出来たのです。

 計画には、吉村城太郎先生を、指導者としてお呼びしました。もちろん、われわれの心の支えであることはいうまでもありませんが、、これは、指導体制の組み立てに世間的に受け入れられるような、アクセントを必要と思ったという配慮もあったのでした。町内の保育園、小学校、中学校、秋吉小学校、下郷小学校、本郷小学校、秋芳南中学校、秋吉保育園に動いてもらわなければなりませんので、ただただ、われわれだけという有象無象が、何かをするらしい、、というだけの観られかたより、ちゃんとした人物が、統率をした計画であるということを知らしめたかった。つまり、指導体制に”はく”を付ける必要がありました。(戻る)

13.継承

 大会が終わって、この太鼓を伝承、継承することを思いました。適所と思う秋吉小学校に打診をし、引き受けてもらえることになったのです。以降秋吉小学校では全校児童が取り組む特色ある活動として現在も続いております。折しも総合学習の時間、創意の時間、という制度ができ、あるいは「グレードアップ授業研究指定校」となり、その時間を地域の指導者のもと、地域との連携で、「太鼓」に取り組んでもらうことになったのです。

 公園大会を契機に、秋吉小学校での全校で和太鼓に取り組む活動がはじまり、こんにちまで継続しており、いまでは、この学校の特色と、秋吉小学校の伝統と受けとめられております。平成10年ごろから、秋吉小学校では、「カルスト草炎太鼓の継承と発展を考える会」を立ち上げ、会長に、地元、自住寺の和尚さんにお願い致しました。発足最初の演奏は、自住寺での祈願演奏でした。発足の時から、何から何まで、和尚さんには大変ご迷惑をお掛けし、お世話になりました。秋吉小学校は、水曜日の午後が練習日です。

 秋吉小学校では、毎年2月、「たくすセレモニー」が、開催されています。これは、卒業していく6年生から、在校生へと太鼓の活動を「たくす」という儀式です。毎年度の1月、2月は、学校では、6年生が下級生に太鼓を教える期間であり、休みの時間などを使って6年生が太鼓の指導をしております。

 秋芳南中学校でも、太鼓チームを作りました。平成5年、6年、7年にあっては、全校でも和太鼓に取り組んでおりました。運動会では全員で演奏していました。また10数人の生徒で和太鼓チームを編成していて、校内文化祭等で演奏していました。平成7年度で一端解散しましたが、平成15年度からは再び同校の授業(総合学習の一部)として導入されました。1学期は概ね毎週月曜日の午後が練習日であり、秋の運動会が発表の場であります。

 秋吉小学校、秋芳南中学校へと、会員は指導に赴いているところであります。(戻る)

14.地元学の教育

 地域が「よくなる」とか、地域が「よくなればいいな」とか。自分が住み、生活をしているところが常に活気に満ちあふれたところであることを人々は夢にはみるものではないでしょうか。だが、地域が「よくなる」とか、地域が「よくなればいいな」とか。自分が住み、生活をしているところが常に活気に満ちあふれたところであることとは、具体的にはどんなことなのか、ということは、なかなか、想像できる人は、数少ないようです。ひとは、どうすればいいのかを知らないように思えるのです。おうおうにして「隣の芝生」の青さにみとれてしまうところで終わってしまっているのです。地域をよくするのは、ひとが、だれかがやってくれるものではなく、ほかでもない、自分、であることにみんなが思い至る必要があるのです。

 そこには、そのひとの「地域」との接点をもとうとする意識がいるのです。で、そういう意識が自らの力で作れるものは別にして、勉強、教育によりそういうことの必要性の示唆をあたえられる機会がいると思われます。

 地元学といいますか、つまり、地元を元気にしようではないかという地元学というのは、、何かを実践しようではないかということが、地元学であり、人を行動へと導く実践理論なのです。ただ何かを覚えればいいということではないのです。

 少なくとも、地元内にある学校、小中学校の授業として「地元学」を取り入れ、小さいときから、地域、地域人々の中で生きていること、生まれた土地、生活する土地の自然、文化、歴史を学び、行動しようとする機会を持つことが必要であると思います。そして、地域が活気あるようにするのに、自分としてなにかしなければならない、何かをしよう、何ができるか、という行動への動機付けをさせるようなものがいると考えるのです。地域のためにと言う思いで自分が動くことが当たり前なんだということ、行動して当たり前ということが、ごく自然であるように、そこに教育のちからが求められているのです。そういう意味での洗脳です。これをしなければならないと思います。そうでないと、人間の80年という繰り返しが何遍あっても、エネルギーの不発の繰り返しであります。

 地域で「太鼓」という活動を行っているわれわれは、小学校、中学校で、太鼓の指導をするとき、なぜ太鼓をしようとするのかの意味をたびたび、子供達に説明をしているところであります。(戻る)

15.「秋吉地区納涼夏祭り」、「観光まつり」等

 平成8年8月7日。秋吉台家族旅行村で、秋吉台観光まつりが行われました。夏祭りはKRYが受け持ちであり、KRYがディレクターされたものでした。家族旅行村内のジャングルジムの前にステージが設営されていました。このときは、『なんでも鑑定団』ではなかったかと思います。斜面の方に構えて陣取り、鑑定がでるたびに、太鼓を打ち鳴らすのが、このときの我々の役割でした。テレビ撮影され、放送されました。観光まつりでは、ほとんど我々の出番をいただき、演奏をしてきております。

 最近では、「カルスト高原健康マラソン」、「カルスト高原ウオーク大会」、「野火の祭典」、とすべてで演奏の出番をいただき演奏しております。 もちろん、8月13日、「秋吉地区納涼夏祭り」では、全部の回に演奏しております。われわれにとっての、ホームグラウンドであります。(戻る)

16.山口きらら博

 平成13年には、「山口きらら博」が、阿知須のきらら浜を会場として、7月から9月、75日間ぐらいで開催されました。

 8月24日『秋芳町の日』がありまして、この日には、市町村館で、1回、山口県館の前で1回、市町村イベント館で1回、計3回の演奏をこなしました。これ以外の日にも、2回ミニ演奏会をおこなっております。

 市町村イベント館では、「tree」の美しい歌声をはじめて聞きました。「ふるさと」という歌でした。秋芳町出身の女性と、五島列島出身の女性という二人組のプロの活動をしている歌手です。彼女らは今も東京でがんばっています。

 イベント館での演奏の構成には、大型スクリーンを活用したのでした。我々の演奏する曲に合うような映像を編集したのです。また、秋吉台の自然に親しむ会の事務局長さんの協力をいただき、秋吉台の山焼きの映像や秋吉台の草花等々、秋吉台のいいところをふんだんに画面に映し出したのでした。このときの構成もわれわれに全部まかせてもらってやり遂げたのでした。

 この日の秋芳町の日のイベントは、ほんとにおおくの方々に、見てもらえたと思います。秋芳町を存分に紹介できた一日でした。このように自分たちのまちを知らせようとすること、及び活動は、ほんとに、たゆまなく、営々と、おこなっていかなければならないことであろうと思います。そのためには、もちろん町民みんなに「このようにまちづくりをしようとしている」という共通認識があることが必要であるとも思います。まさに町民全体で「まちづくり」のことが、たゆまなく、営々と考えられていかなくてはならないのであります。(戻る)

17.きらら博メモリアルイベント

 また、平成14年秋、「きらら博メモリアルイベント」がありました。早速応募しました。構成はまた我々が考えました。このときは秋吉小学校4,5,6年生とカルスト草炎太鼓で『秋吉台からのメッセージ』と題した、秋吉台をアピールする太鼓演奏を行いました。ちょっと風の強い日でした。学校にお願いし、秋吉小学校の児童の演奏の場として、出てもらいました。このときも、多くの県内外の人々の観客がおられました。このように、ひろいところにこども達を引っ張り出すことも、われわれ太鼓活動のひとつとして重要であると思っております。(戻る)

18.国民文化祭

 山口県国民文化祭実行委員会から、「国民文化祭やまぐち、おひろめたい☆志」に認定されたところの国民文化祭やまぐちが、平成18年11月3日には開催され、秋芳町においても、ミュージックフェスティバルという行事が計画されました。

 そのなかで、太鼓が主管で「太鼓と男声合唱と風によるコラボレーション」と題して、家族旅行村、芝生広場を会場に国民文化祭を開催しました。

 当日までの道のりは、とにかくせわしいものでした。課題曲というものを『ちゃぼ先生』に作曲してもらいました。できあがった曲は「威吹」といいます。

 平成17年暮れ、曲は届きました。まずわれわれが練習し、覚えなければなりません。12〜3分のながい曲です。パートが6つ、とかなり手強い物に感じられました。予定は、2006人で打とうよ、といっていましたが、とてもではなく、2006人はムリであることは日が過ぎるにつけてわかってきました。しかも最初は、秋吉台上、妙現原あたりで、、、2006人でなどといっておりました。道具の運搬など、とてもではなく困難なことです。会場は、「秋吉台家族旅行村」内、芝生広場とすることにしました。

 まず、県内の太鼓団体の名簿を、町教委がつくってもらいました。それをもとに案内を出して、参加してもいいと言う返事が返ってきたのは16団体でした。人数250名あまりです。

 これに秋芳北中学校(秋芳北中学校でも、この国民文化祭に、生徒をなんらかのかたちで参加させたい。いまは、見当たらないので、太鼓をまったく学校でやったことはないが、これでの参加は可能か、という前校長先生の申し出により、秋芳北中学校の生徒も、演奏に加えることの可能性を考えました。太鼓という道具の修練には、できるようになるには時間が、そして、道具がない。そこで、竹太鼓で、という参加をしてもらおうとしたのであります。北中の生徒にはマーティングバンド経験者が半数はいるから、リズムにはすぐに対応できるであろうと予測しておりましたが、実際は、なかなか大変な作業でありました。)90人、秋芳南中学校(秋芳南中学校の生徒には、南中学校生徒だけで、一曲の構成をお願いしました。すべてのパートを生徒たちに分けて取り組んでもらったのです。篠笛も、もちろんやってもらうようにお願いしておりまして、やろうというものがいるかどうかと思っておりましたが、4名のものがやってくれました。結果、威吹は、南中生徒だけで演奏できるようになりました。)75名、秋吉小学校(全員、竹太鼓)50名、我々30名。以上約500数名での演奏になりました。

 みんなが持ち寄った太鼓は台数、300台。北中、秋小は、竹太鼓での参加です。曲を各団体で、とにかく基本的には自己練習で覚えてもらう。

 そうして、平成18年の7月頃から、我々の方から、各団体の指導に向かいました。各団体との合同練習を、各2回はこなしてきました。遠くは、周東まで。夜。帰りは午前0時すぎになることもしばしばありました。会のみんなはよく、これをこなしてくれました。われわれだけでのデモDVDを撮影、CD作成し、協力団体へ配布しました。期間中「ちゃぼ先生」に3回指導にきてもらいました。町内だけでの合同練習、秋小、北中、南中、草炎太鼓、で練習をしました。 竹と太鼓が合いませんでした。これでは、、、! あせってもしかたない、できたほどだ。開き直り。11月2日まで学校での練習を行いました。できたほどだ。開き直りです。当日が雨だったら。この「雨」という予定は想定にありません。考えませんでした。

 当日は「威吹」の合同演奏、なんとか、形になりました。当日がはじめての全体合同練習でした。「チャボ先生」に当日は来てもらっております。当日の指揮をお願いしております。練習時一回目は、草炎太鼓のメンバーが指揮をとりました。、、これは、、、、ぜんぜん合いませんでした。だめか、、、、。二回目、こんどは先生が到着しました。すこし合っていたような。先生は、ポイントをどうすればいいか、模索していました。   そして本番です。これが合ったのです。やった!という思い、でした。参加したもの、よかったという思いで。観客も、合ってよかった、と、ほっとした思いのようで。 多くの観客もあり、われわれの実力が発揮された事業でした。

 今回は、多くの太鼓団体の協力のもと、「威吹」という課題曲を合同で演奏するという機会が盛会に行えました。われわれは太鼓を通じての活動をする同好の志は、横のつながりを密にしていくことが求められていると考えております。それは単に《何とか》組織をつくるということではなく、太鼓を生かす活動をしようとしてつながることであります。太鼓の会の為の太鼓でとどまってはいてはならないと考えます。

 その手がかりとして、今回の事業は取り組まれました。一発起人はわれわれでありましたが、それがいま拡大の方向で開花を見ようとしていることがあります。同好の志のつながりをもって、新たな各地での地域興しへの協力体制の確立の動きであります。(戻る)

19.”威吹演奏の会”のつながり

平成19年7月22日(日)山陽小野田市竜王山公園オートキャンプ場で、『第一回《威吹》演奏の夏アンド和太鼓競演の夏』を開催しました。

以下は、終了後の会話です。今回、参加していただいた6団体が結びつきを一層強くした日となりました。

○草炎太鼓から竜王太鼓さんへ

昨日は、たいへんお世話になりました。 ありがとうございました。早速ですが、経費明細についてお知らせいただきますようよろしくお願いいたします。
(草炎太鼓 Sより)

○竜王太鼓さんから草炎太鼓へ

 お疲れ様です。今日は、今まで県庁におりました。とっても良い天気です。1日ずれていたら。そこで2つの考えが頭に浮かびました。1つ目は残念。2つ目はよかった。たしかに天気は良い方が良いでしょう。でもあの微妙な天気だからこそ草炎太鼓さんが四境太鼓さんや千鳥太鼓さんに太鼓を貸して予定をこなしたり、逆に草炎太鼓さんの到着の時間稼ぎに四境太鼓さんが1曲追加したり、よさこいの総踊りができたり、思わぬ産物がありました。早く帰ってしまわれた龍美女太鼓さんがお皿を洗ってくれたり、千鳥太鼓さんがテントの片付けをやりますとわざわざ申し出てくださったり、苦しい状況だからこその喜びが味わえました。次々襲いかかるアクシデントに対応しているうちに、途中から、お客のためでなく自分達が楽しめている実感がしっかりありました。本当に楽しい1日になりました。そして、暑さでばてることもなく、月曜日をこなしています。終わってみればあの天候で思い出に残る一ページ。いや、本当に良かった。
さて、経費ですね。びっくりしますよ。肉代11,350円いただきます。 以上です。
えっと思われるでしょうが、皆に買い物の役割分担したら領収とってないからいらないって。(半分、押し切ったけど。) ま、その他経費は、竜王太鼓の負担という事にしておいてください。では、参加の皆様へのお礼の郵送をよろしくお願いします。メールで送れるところには写真のファイルを添付してもらうと嬉しいな。よろしくお願いします。

(竜王太鼓 Wより)

○草炎太鼓から竜王太鼓さんへ

そうですね。天気が悪くて、かえって大会の意味合いが、深まったように思います。というのも、参加してくれた団体は、お客様では、ないはず、だと思うからです。ただ演奏をして、さっさと帰る、というのが、ほとんどの場合のよくある大会です。そのような大会の場合、主催する側の人間にとっては、参加した団体のことなど気にする余裕は、まさにないでしょう。私は、これまで、太鼓をやっている団体相互の交流の機会がないことを少なからず、さびしく思っているもののひとりであります。各団体には、それぞれが、いろんなところから演奏の依頼を受けて出かけていく。その繰り返しが活動のほとんどだと思います。それだけでいては、太鼓をやっていることの意味とはなんなんだろうと思えてきて、春、桜の季節に、自団体主催で、地域のまつりを興した、という経緯をもっています。太鼓競演という企画には、太鼓団体に参加してもらえることがまず必要ですが、そこでは参加した団体との交流がおおきな目的であると思います。そうやってわいわいやって盛り上がっている姿が、多くの人の目に入っていって、そうしていって、多くの人々を寄せ付けていくようになる、と思っています。小倉祇園太鼓とか、太鼓が主役のわいわいイベント、そんなものができないかと、思うばかりで、案がでてこないのですが。
 経費のことですが。肉代は、わかりました。が、ほかがわからないということではありますが、それでは、こちらが気がすみません。ですので、こちらで検討させていただきます。
他のこと、了解いたしました。  

(草炎太鼓 Sより)

○竜王太鼓さんから草炎太鼓へ

熱い思いが伝わってきました。僕の感じたとおりのことを計画しておられたのですね。そのような結果になって、本当に良かった。さて、経費です。本当にかかっていないし、第一、竜王太鼓の負担は4万円までは受けると会計に約束を取り付けてあります。でもこの会計からさえもらえる雰囲気ではないのに草炎太鼓さんからはもらうわけにはいきませんよ。大丈夫です。カレー1杯の力を信じてください。PAさんには、決して無理は頼んでおりません。御礼が必要ならこちらから断るとまで言ってもなお、引き受けてくださった経緯があります。全ての人が自分の機材を持ち込み自分の力を発揮するのに対価は求めない。ただし、飯くらい食わせて。その約束で成り立ったイベントだと思います。悪天候での頑張りは最初はうるさく言っていたオートキャンプ場の場長の心も動かしたようで、途中から急に協力的になりました。
今日も部下が自発的にテントを干してくれました。
気になるでしょうから何が無料になったかをお知らせします。
オートキャンプ場  入場料 無料
  〃       4サイト借上げ 無料(電源・水道)
  〃       管理棟2階 借上げ  無料
  〃       軽トラ使用料     無料
サッカー場 ライン引き 借上げ      無料
テント  6張り   借上げ       無料
テーブル、ごみばこ借上げ 無料
鍋、食器等 借上げ    無料
調理場使用料、空調使用料 無料
お茶、紙コップなど  手持ち品(練習会場の冷蔵庫から失敬)
ゴミ袋 役所から失敬
現地の掲示、案内など カレンダーの裏面使用
こんなものでしょうか。
PAはボランティア参加、新聞記事掲載は後援を理由に全て無料。市役所と教育委員会の共催はすごいでしょう。その上で食材、各自お得意様から格安に分けてもらう。としていますので、お肉だけというのは引受折半の丁度良いところだと思うのですが。今回は第1回目ですし、次回を続けるために経費は節減(補助金を取れないから取らないに変更した趣旨に則り)しましたのでご了承ください。

(竜王太鼓 Wより)

○四境太鼓さんから草炎太鼓へ

この度のイベント・・大変お疲れ様でした。

そして大変お世話になりました。

梅雨明けを目の前に残念な天候となってしまいせっかくの計画を乱してしまった申し訳なさが残りますが、太鼓を貸して頂き演奏して帰れたことは本当に感謝感謝です。

ただ、演奏をほぼ諦めモードで衣装も脱ぎ捨ててしまった所に突然の出番がやってきて、私服やら何やらだらしのない状態で演奏に臨んでしまった失礼をお許し下さい。申し訳ありませんでした。

私達にとりましてはお蔭様で素敵な場所を知ることができ、他団体の近隣にない和太鼓のリズムを楽しむことができ思い出に残る楽しい一日となりました。

子供達は特にあの天候の中でもめいっぱい多くのめずらしい遊具で遊ぶこともでき、喜んで帰りました。

本当に有難うございました。

それから、大事な次回の引き受けの件ですが・・・

私自身ぜひこの縁を続けていけるよう協力したいなぁという気持ちいっぱいで、帰りのバス中でメンバーに呼びかけ、沢山の意見を交わしながら帰りました。もちろんやってみようと共感するメンバーもおりました。しかしながら、比率的にこの度の引き受けをやめた方がいいよという意見が多く、チームが団結し作り上げていくパワーにかける状態がみえました。といいますのも、メンバーが沢山いるようで子供が半分を占めております。残りの数少ない大人メンバーのうち、来春より生活状況が変わる者が数名おりまして、チームの活動の先行きさえも不透明な状態で、そんな責任重大な役を引受けていたら大変な迷惑をかけることになるかもしれないと・・・

いつかチームが落ち着きパワーアップした時にはぜひ協力させて頂きますので、この度はどうか見送らせて下さい。本当にすみません。

それでは皆様の今後の活躍とこの交流会が続いていくことを和木町より願っております。

有難うございました。

(四境太鼓 Oより)

○草炎太鼓から四境太鼓さんへ

22日はたいへんお世話になりました。

天候は、ほんとうに残念な雨 でした。

が、みなさんが、状況に応じて、いい方向に動いていただいて、結果としては、とてもみのりある会になったと思っております。

会場にいって、演奏して、自演奏が終わったら、帰る、、、、、というようなよくある大会ではなくて、、、、、

会を太鼓団体の参加したものみんなで当日を作り上げていくこと、のようなことをより多くの経験していきたい。

今回は、そのようなことが体験できたと思います。

今回、お宅に打診を向けてみましたが。

そもそもその前に、会を開くにどのようなこと、前提があるかをみなさんに説明をしておくべきであったかと思います。

たしかに、今回は、竜王さんのWさんに負うところまことに大でありました。

竜王さんは、wさんは、おおまかな意味でも、細かい意味でも一つのイベントを行うことの想定がすべて頭の中におありですので(TAOのコンサートをなんども主催されたりしておられます。それに伴ういろんな事を計画されておられます。)、そうした経験に、思いをプラスされ、今回もいろいろとアレンジを加えて、今回の会を引っ張ってくださいました。

先日も申し上げましたとおり、引き受けの方に おかれましてお願いしたいことは、次のような内容です。 

1.会場の確保 (演奏場所の確保:ステージを組むことはしない。)(参加団体道具運搬車両等駐車場の確保) 

2.日にちの決定  

3.町の後援  町教育委員会の後援 取り付け 

4.会場利用料の減免措置 当局との下打ち合わせ 

5.諸用具の借り上げ(テント、電源、ゴミ箱、机、いす、出来れば軽トラ)の仲介 使用料の減免 

6.メディア等、東部地域での 地方紙 タウン誌 等への後援依頼先を 教えていただくこと 

7.ポスター 掲示の労をお願いすること。

だいたいお願いしたい事は以上です。

他のことについて、

1.事務局  草炎太鼓がします。

2.費用については、草炎太鼓が負担しようと思っております。

3.参加各団体への謝礼は、ご無礼ですが、なしでということでのご理解をお願いしたい。どこが引き受けても、無理のないように、と思います。

4.参加交通費  自己負担で、ご理解をお願いしたい。

5.ポスター作成  手作りですが草炎太鼓がします。

6.参加団体の募集 とりまとめ  草炎太鼓がします。

7.要綱の作成   引き受け地と協議しながら作成します。

8.PA    草炎太鼓の方で簡単なものですがもっていきます。(引き受け地で、無料に近い物があれば、それをお借りすることも。)

9.後援依頼   山口県 山口県教育委員会 草炎太鼓がやります。

         タウン誌等で 引き受け団体で懇意なところがおありでしたら、引き受け地で行っていただきたいと思います。山口新聞へは 草炎太鼓が行う。 

10.表示   草炎太鼓がつくります。

11.打ち合わせ    1ヶ月前ぐらいに一回ほど いきます。二回くらいはいくかも。 

だいたい以上の通りです。

会を参加団体が、和気藹々のなかで作っていくこと、みんなの気持ちの盛り上げを、みんながどのように思って作り上げていけるのか、そこには 試行錯誤が必要だと思います。 参加するものひとりひとりに経験も必要だと思います。

参加団体は、お客様ではなく、いっしょに作りあげていく作り人だと思います。

今回のメールで、無理だとのお返事をいただきましたが。

それはそれとして、お聞きします。が、設定のあらましをお伝えしておきますので、再考に余地があることを願っております。

こんごとも よろしくお願いします。

(草炎太鼓  Sより)   

○竜王太鼓さんから草炎太鼓へ

四境太鼓の大串さんからのメールは開くことが出来ませんでした。多分自信がないということではありませんか。Sさんの思いはやり終えた僕がやっと分かったくらいですから、引き受ける前には理解されないと思います。直接、お話するしかないのではありませんか。
防府であれ、和木町であれ、決まれば僕もお手伝いしますよ。では、頑張って下さい。

(竜王太鼓 Wより)

○竜王太鼓さんから草炎太鼓へ

皆様、お疲れ様でした。
7月22日の様子が地元新聞紙で報道されましたのでファイルを添付します。
こちらも思い出の一ページに加えてください。

(竜王太鼓 Wより)

 ○周防千鳥太鼓さんから草炎太鼓へ

二年後は阿知須で競演できるよう草炎さんを目標にどん底から這い上がります。
また一緒に打てる日を楽しみに練習がんばります。

(周防 熊さん)

 ○右田ゐ鼓座さんから草炎太鼓へ

飴にもまけず?、雨にも負けず!、お疲れ様でした。ありがとうございました。カレー、ホンとにほんとに、おいしかつた〜〜〜〜!
2008年の引き受けできませんで、すみませんでした。
長―くやっていける太鼓打ち、楽しんで、やっていきましょう〜。これからもよろしくお願いします。 

(右田ゐ鼓座  くらちゃん) (戻る)

20.和太鼓団体

 県内にも、全国にも和太鼓演奏グループは、本当にたくさん存在しております。県内でも60近いものが。全国では数えきれず。

 これほどまでに人気のある「和太鼓」です。大会も数多くあります。岡谷和太鼓大会、東京和太鼓大会、陸前高田和太鼓大会、この他にも大会がたくさん行われているようです。大小あげれば相当なものがあるようです。

 和太鼓の演奏というものには、上手とか、へたとかいう言い方はあまりなじまないものなのです。各団体で、アピールしようとしているものがあります。演奏内容がすべて異なります。どれも一生懸命演奏しているものであり、評価のことばとして、「悪い」というのはなくて、「いい」しか無いのです。

 平成18年の国民文化祭で、われわれは県内の和太鼓団体へ協力要請をし、秋吉台での合同演奏に挑戦をしてみました。16もの団体に応じていただき、「威吹」という曲を合同演奏できました。山口県において、平成10年に発足した「山口県和太鼓連盟」というものがあります。われわれは、故あって、すこし後になって加入しました。これへの加入率は低いようです。ホントは、全部が加入という組織率100パーセントが、いいと思います。が、なかなか、そこまでの思いまでにはできないようです。太鼓団体が、スタート時に”○○太鼓”と、名付けたのなら、即、この統一組織にはいらねば、、と、なるといいのですが。組織化はさておき、こんご一層の横のつながり的活動を起こしていければ和太鼓文化は、さらなる進展ができるものと思います。和太鼓文化を拡大していくことも、その中にいるものの努力するべき義務であります。 

 確かに、太鼓グループには、温度差といいますか、それぞれ違いがあります。人の集まりですから、すべて構成人が違うのだから、すべて異なるのが、当たり前。各団体は、それぞれに悩みを抱えながら、一生懸命がんばっておられます。でも、あるところに「こういう太鼓」がありますが、わたしには、すこし意味が違うのではないかというような気がしております。これは、太鼓グループが一億創生資金で日本中にぞくぞくとできていったときに、よそでは、どこも地域の若者が、汗をだして、一肌脱いで、太鼓チームを立ち上げていっているが、あるところでは、それがないので、役所の職員に職務命令で、太鼓チームを作ったところがある、そこまではまだいい、、太鼓を役所の予算で買う、曲を役所の予算で作ってもらうというところまではこれも、まだ許せる、まだ良いのですが、、太鼓チームが、職員でしか構成できない、、、作ろうとしない、それで、その町に太鼓があるという、ただ世間体を取り繕っている、、、ように見える?のは、、太鼓をやっているものにとって、しかも地元学という実践論を言おうと思うものには、不思議に思われるところであります。しかも、その形で、年に1,2度、市の関わる行事で演奏、、、そういう形で、 10数年も続けられておりまして、、お茶を濁す、、といいましょうか、、でも市からつい去年まで、高額の助成金が、、、、、、というのが信じられない、、、、、、

★山口県内  和太鼓団体  一覧・・・・・・・(戻る)

21.国際交流

 秋芳町では、早くからAET(英語指導助手)、CIR(国際交流員)さんを雇っていました。そこで、われわれはAETさんにも、CIRさんにも、日本の伝統文化としての太鼓を体験してもらわなければ、と、勧誘しました。最初はジェーソンというアメリカの青年。それからマルグリス ジョシュア。彼は、同じ頃草炎太鼓にいて、共に草炎太鼓グループで活動をしていた日本の女性と結婚して、いまはアメリカに住んでいます。。。。と思ったら、家族で日本へ戻り、今は(平成20年8月から)山口市へ住んでいます。子供は、2人。女の子で双子の。そしてマーク ブラックマン。今は(平成20年)、アメリカ、ポートランドにいます。奥さんは、日本人です(平成20年結婚)。キャサリン。ジニー。ジェフリー。アブラ。クーパー。と、全部アメリカ人ですが、かれらは、和太鼓を日本伝統文化としてとらえ、味わっていました。この他にも、かれらの県内、県外での外国人の友達も、たくさん練習にやってきておりました。期間の長、短はありますが、われわれとともにばちを持ち、和太鼓の練習に打ち込みました。

 彼らは、こちらに来るときには、少しばかりは日本語の勉強をしてきておりますが、来た時分には、日本語はやはり、中途です。最初はお互いの会話に片言英語を交えたりしておりますが、数ヶ月すると、たちまちと行った具合に日本語がうまくなっております。そのころには、こちらは片言英語を使う必要はなくなっています。

 彼らの秋芳町への滞在期間は、だいたい2年間です。で、その間には、アメリカから、ご両親が必ず日本に、そして秋芳町においでになります。コミュニティーセンターでの練習日、夜ですがセンターをご両親は訪れて来られます。多くのご両親との握手の記憶が脳裏に鮮明にあります。

 現在、彼らは、本国に帰っているもの、日本に残っているものもあれば、オーストラリアに行っているものもありとさまざまですが、このような交流のおかげで、われわれにとって、アメリカが、庭のように身近に感じられます。いまからアメリカへいくよ、、といった場合、アメリカ国内に、多くの我々を待つ人々がいるのです。

 われわれほど、自然に国際交流をしているものは、他にあまりいないのではないか、と思っているところであります。

 多くの外国人との和太鼓活動をすごしていて思った彼ら青年の印象は、ほんとにかれらは良い子たちだということです。そしてとても勉強熱心だと言うことです。それと改めていうのも変ですが、国という人が作った箱は違うが、人間としてはなんらの相違はないこと、ということです。もちろん生活のしかたとか住む場所の相違によって必然的にことなるものはありますが。それはそれとして人間の生きる、から生まれる文化であります。一口でいえば、われわれひとりひとりの個性の相違、という概念と同列であるのです。(戻る)

22.国際芸術村

 秋芳町にある山口県の大きな施設として、「秋吉台国際芸術村」があります。この大きな施設もわれわれの庭のように感じております。芸術村夏祭りでセネガル太鼓奏者「アローナ」とのセッション、芸術村施設開放事業でのわれわれの企画事業の開催、こども劇場イベントへの参画(三日間のスケジュールでおこなわれたこどもミュージカルにおいて、シナリオのなかで太鼓の出番が設定されており、われわれがそこを協力したものです。)等々、この施設があることで、われわれの文化的活動の幅が、格段に広げられていったと思っております。 (戻る)

23.「志多ら」

 われわれの先生は、吉村城太郎先生であり、先生のつくったプロの太鼓チーム「志多ら」であります。そして「志多ら」は、われわれの師とするところの団体であります。

 これまでには、『志多ら』を秋芳町に4回お招きしております。

 最初は、全国自然公園大会の成功のため、町民の気運を盛り上げようとして、平成14年6月に秋芳町民体育館で、昼、夜の2回公演を開いております。昼間は、コンサート鑑賞料は無償で、町にはバスの配車をしていただき、町内の小中学校の全児童生徒を招き、町内の子供達に「和太鼓演奏文化」を初めて紹介したのです。和太鼓を打楽器として、その精神性も加わった演奏会は、大いに刺激になったようです。夜は、有料でおとなを対象にコンサートを開催しました。昼、町内の子供達1000人、夜、町内外のおとな、800人。多くの町民に「和太鼓の演奏」を楽しんでいただきました。これほどまでの企画の発案、実施、チケットの販売、われわれ、「カルスト草炎太鼓」が、やりました。よくやれたものと思っております。もちろん多くの方々のひとかたならぬご協力もあればこそできたことでありますが。

 2回目は、平成12年3月、秋吉台国際芸術村ができ、施設開放事業としてわれわれに利用を委ねられた時に、「志多ら」を招き、コンサートを開催しました。二日の事業で、一日目は和太鼓のワークショップ、先生は大脇さんをはじめとする志多らの面々です。二日目にコンサート。

 3回目は、平成16年7月、また志多らの演奏が見たくて。そして、会も、発足からの年数が経過し、『志多ら』の演奏をまだみたことがない会員が多くなり、、是非みたいということから、秋芳町民体育館でコンサートを開催しましたものです。

 4回目が、平成18年6月で、国際芸術村で、国民文化祭の気運醸成に資することを目的としてコンサートを開催しました。

 また、これまでには志多らから独立した「TAO」や、佐渡を拠点とする、吉村先生も、関わりのある「鼓童」といったプロの太鼓チームの演奏を県内でのコンサート時に聞きにいきました。それらの演奏メンバーとの親交をいただけていることもたいへんうれしいことであります。太鼓文化を秋芳町に導入したのはわれわれであると自負しておりますが、これまでわれわれがおおきなイベントを成し遂げることができてきましたことは、これら多くの方々の後ろ盾があればこそであり、また、おおきなイベントの開催にチャレンジすることで、先生方を含めた多くの方々の総力を結集する良い機会ととらえているものであります。

 太鼓文化の深化を、及び太鼓の鼓動でもって、世の中の人々のつながりに果たそうと切に願う多くの太鼓人の真摯な連綿たる活動のたまものにより、世に大きくなりつつある『和太鼓文化』を、世に大きく認知されてきつつある『和太鼓文化』を、粛々として、かつ、胸を張って、さらに大きな活動となるよう動くことが、われわれにとって使命となっているのであります。(戻る)

24.花まつり

 「志多ら」の本拠地は、愛知県北設楽郡東栄町東薗目にあります。細い坂道をどんどん上がっていきます。かなりたかいところまで上がってもまだまだ山の途中であり、そこに廃校になった小学校の建物が本拠地があり、練習場があります。そのまた上の方に小さい集落が点在しております。元小学校の建物は、教室が2室、職員室1室、給食調理室、職員住宅、小さい体育館などがあります。2室の教室はつながって広くなり、練習場に充分です。

 愛知県の北部地方、ここ東栄町や鳳来町、など周辺のいくつかの町に伝統のまつりが残っているのです。それが、「花まつり」なのです。

 行事は、11月の第3週の土曜日の昼から始まります。翌日曜日の朝まで続きます。お昼、お宮での神主さんの祝詞からはじまり、奉納の踊りが繰り広げられ、それから、夕方、一端場所は、地域の老人コミュニティーセンター建物に移ります。それは、志多らの小学校から、少し上の方に歩いていったところにあります。その建物に座敷と狭い広場があります。その真ん中にかまどがあります。それにおおきな鍋がかけてあり、湯が沸かされています。そこで、最初、神主さんのお払いから始まって、子供達の伝統の踊り、女の子の舞う伝統の踊り、いよいよ子供が大きな鬼の面をかぶって、大きななたを持って舞います。この面というのが国の重要有形文化財となっているという、600年前からの物だそうです。夜も深くなっていくと次第に舞い手はおとなへとかわります。篠笛の同じメロディで、踊りも同じ調子で、延々と繰り返されます。それらにはもちろん意味があるのです。これはなにの舞、これはなにの舞と、伝統にのっとった手順で意味付けのされた舞が繰り広げられるのです。そして、0時か、1時ごろが最高潮で、そこで「志多ら舞」が出てくるのです。これを「志多ら」の面々が舞うのです。力一杯、舞うのです。

 多くの見物客が県内、県外からやってきています。志多らのファンも各地からたくさん駆けつけています。それと、このように各地からきた見物客に対して、地元の皆さんが夕食を、酒をだしてもてなしてくれるのです。もちろん見物料はとりません。ごはん、野菜の煮たもの、等々を出して迎えてくれるのです。

 0時、1時ころからは、舞うひとは、志多らのめんめんの出番となります。一連のシナリオの後半は志多らがやっているようです。もちろん地区の世話役も寝ずに世話をしています。いよいよ、あさのころ、最後のシナリオが、かまどに掛けられていた、湯を、わら束につけて、見物客に向かって、掛け回すのです。とことん追いかけて、振りかけます。見ているものは振り回す湯のついているわら束で、水しぶきを浴びます。これも健康祈願なのです。 最後に神主さんの祝詞で行事も終わるのです。志多らは、この伝統行事の重要な担い手、後継者なのですが、このまつりのために、この地区の外にでている多くの若者が帰ってきて、舞い手となって踊ってもいます。われわれは、このようなまつりをうらやましく思えたのでした。志多らは、この地域にすっかり溶け込んでいるのです。地域がひとつになっている。まつりをとうして。伝統があることがうらやましい。

 われわれは、このまつりを見に、かれこれ3〜4回、愛知県の山奥へと行ってきました。車で、こちらを夜中に出発して、高速道を通って、途中数回休みを入れながら、11時間くらいかけていきます。途中高速の風呂のあるSAに止まり、風呂に入ったり、また最近では東栄町に東栄温泉というのができておりまして、湯につかったりと、旅を楽しみました。

☆花まつりの内容:(戻る)

25.創るーー「草炎桜まつり」

 カルスト草炎太鼓グループは、地域の応援団として『地域に賑わいを』と考えるなら、地域に新たな『祭り』をつくろうと、志多らの、「花まつり」への取り組みほどには到底及ばないが地域にとけ込める、地域のものがよってくるようなまつりを目指して、まつりをつくることにしました。

 平成15年4月、第1回目の「草炎桜まつり」を開催しました。(草炎桜まつりについてはこちら草炎桜祭り)場所は、秋芳洞広谷南駐車場。テント設営12〜3張り、餅つき、バザー、フリーマーケット、プログラムの中でも、ふれあい太鼓はメンバーのもっとも重要視するものであります。

 最近では、近隣の太鼓グループが出演して頂けるとか、同じく地域の盛り上げを志向して立ち上がった「秋芳河童連」というよさこいチームも来て下さり、まつりを盛り上げていただいております。そのように、だんだんと支援の輪が広がりをみており、次第に思い描くまつりとなっていっていると感じております。(戻る)

26.太鼓の曲

 東洋一の大鍾乳洞「秋芳洞」、日本最大のカルスト台地「秋吉台」が、所在する秋芳町にいるわれわれは、名前も「カルスト草炎太鼓」と付けていただいております。

 そこでは、われわれが演奏する太鼓の曲の題名は、必然的に秋芳洞、秋吉台をPRするものでなければなりません。

 いちばん最初の、曲は題名は、定かではありませんでした。二番目の曲は、メンバーがつくった曲で、秋吉台の山焼きをイメージした曲で、その名も「草炎」です。秋吉台の壮大な山焼きが、沸々と感じられる曲なのです。(曲についてはこちらをご覧ください。)

 そのように、曲は、秋吉台、秋芳洞を感じられるようなものという精神で作ろうとしております。3曲目、火道、4、5、6、の4曲、琴が淵、草炎囃子、龍護、は、吉村城太郎先生に作ってもらいました。3年余の来町の間にここのことをよく知ってもらいました。その中で、素晴らしい曲をつくっていただいたのです。

 それからのちは、メンバーでつくる努力をしておりますが、国民文化祭があることから、平成17年には、チャボ先生に、国民文化祭のための課題曲、「威吹」を作ってもらいました。秋吉台の自然に悠久の生命の力強い繰り返しを感じ、表現されたとてもいい曲です。

 地元のおおきな自然をPRをする曲を披露するたびに、われわれは、第一線の宣伝マンだという意識がよぎるのです。(戻る)

27.道具:太鼓

 道具として、活動には太鼓の台数を確保することが必要なことです。

 これまでには、最初、スタート時に、日本生命財団にお願いして、大太鼓1尺8寸、1台(60万円)、中太鼓1尺4寸(一台30万円)、5台、締太鼓、1丁がけ(一台15万円)、5台を揃えていただきました。

 そして、ふるさと創生資金で、大太鼓3尺3寸、一台、600万円を町から買っていただきました。

 県植樹祭にあわせて、締め太鼓1丁がけ(一台15万円)10台を揃え、それと、こどもの太鼓用に竹、一本3メートルと台を数本つくりました。

 次には、自然公園大会時に、中太鼓1尺5寸、5台(一台55万円)、締太鼓3丁がけ、3台(一台25万円)を、県の募集する宝くじの助成金から購入していただきました。このときは助成金の受け取りに、旧県庁本庁舎の正庁会議室というところで授与式が行われ、県内で5団体ほどが、助成金をいただきました。大会を控えており、われわれは一番多くの助成をいただきました。

 それから、きらら博時に、担ぎ桶胴太鼓、5台(一台25万円)を町に配分がある自治宝くじ助成金で買ってもらいました。これで、すこし変化のある、動きのある構成が可能になりました。

 それから、平成13年くらいまで、秋吉小学校での太鼓の指導は、我々の太鼓を、こみせんから、練習ごとに運んでいましたが、これをなんとか学校据え置きにできないものかと、また町にお願いして、中太鼓(1尺5寸)(すこし安い物をさがして、一台20万円)5台を、宝くじ助成金で町から揃えていただきました。

 そして、先の国民文化祭の時ですが、もっと道具がいる。そろえなければ国民文化祭の「威吹」が大々的にできないことは言うまでもないことであり、思案の末、我々の資金で購入(約80万円)することにしました。中太鼓(1尺4寸)10台(とにかく安いものを探してきまして、1台3万円)、中太鼓5台(1尺5寸)(1台3万5千円)、締太鼓(2丁がけ)10台(1台2万5千円)、大太鼓(3尺)一台(25万円)、これらは、南中においておりまして、これまで南中での練習時、われわれの太鼓を運んでおりましたが、運ばなくて済むようになりました。

 我々にいただいた沢山の支援。感謝、感謝のかぎりであります。みなさんのおかげでこんにちがあります。(戻る)

 ※所有する太鼓の種類、数等・・・・・・・

28.代表

 現在の会の代表は、4代目です。初代会長は、昭和63年4月から平成5年3月まで。2代目は平成5年4月から平成8年3月まで。3代目は、平成8年4月から平成9年3月まで。残念ながら病気休養のため交代へ。そして4代目は、平成9年4月から現在に至っております。事務局も、それにつれて替わってきております。

 これとともに「カルスト草炎太鼓の継承と発展を考える会」というものを、学校を含めた活動を展開していくため、地域でひろく支えていっていただく必要から設立し、平成9年4月から会長として会の発足からご支援をいただいている大庭自住禅寺和尚さんになってもらっております。平成20年4月からは、2代目会長として、前田氏におねがいしております。(戻る)

29.悩み

 われわれの悩みは、大鼓の修理代の工面であります。

 道具である太鼓には、牛の皮が使われております。例の大太鼓の皮の修理に必要な資金は、300万円だといわれています。中太鼓の皮は、一枚15万、3丁がけ締め太鼓の皮は、一枚10万円、とかなりかかるものであります。

 これまでに中太鼓3台の皮を両面、張替えました。そして締め太鼓については6台か7台、両面を張り替えてきました。道具は、秋吉小学校、秋芳南中学校に配置してあるものもあります。和太鼓演奏が学校の授業として組み込まれておりますが、修理はこちらの会の負担で行っております。

 太鼓を購入するときは役場に何かと協力をいただき購入してきておりますが、修理は、これまでわれわれが負担しております。これの捻出が、小さい団体でありますわれわれの大きな悩みであります。でも、太鼓がないと活動ができませんから。自分達が、少しずつですが、いただいた寸志をためては修理代にあてています。今も、修理を待つ締め太鼓が、4台あります。今は金具をといてばらしてあります。活動を活発にすればするほど、道具は傷みます。そういう現実がありますが、われわれは、もっといろんな種類の太鼓が欲しいなと思っています。太鼓の種類は、演奏のバラエティーさ、いろんな楽しいかたちの演奏を増やしてくれます。(戻る)

30.課題

 これから、将来においてわれわれが挑戦したいことは、たくさんあります。

 夢を語っても、あくまでも出入り自由の任意団体であり、組織がいつまでも盤石であるとはかぎりません。が、時のメンバーが努力を惜しまず、その時その時を一生懸命に生きること、まずはそれが必要であります。

 そして、地域の小学生に、中学生に、若者に、地域の人々に、おこがましいようですが、たわいないものに一途になって取り組むことの必要性を必死で訴えかけていきたい。地域の者全部が、それぞれになにかに一途に向かっていこうとしている状態が生まれたとしたら。。。。。おもしろい地域となるのではないかな。。。。。と。

 こういう言葉があります。『世の中の8割は、ノンポリ』と。『おまえ達がいくら一生懸命やっても、世の8割がノンポリだから、その意味がわかってもらえないだろう、、、』と。これらはよく聞かされる言葉である。だが、われわれはそんな言葉にめげてはならない。いろいろな形での行事を組む、実践、行動に移すことを続けていく。これがわれわれの生き方であり、ノンポリではつまらないであろうとせめて訴えたいし、それを言いたいが為にわれわれは身を粉にして行動しようよ、と。これが世に対する影響は些少なりと感じながらも思えどもわれわれが行う地域社会へのメッセージなのであります。(戻る)

31.「我等地域の応援団」

 われわれの会でも規約を持っております。その中で、「目的」として、次のようなことを掲げております。

(目的)
 第1条 カルスト草炎太鼓グループの活動は、会員相互の親睦を図ることを第一義の目的と    しつつ、和太鼓の演奏活動をつうじて、会員個々の個性の発現、及び会員の生きがいの増進を図るとともに、「地域の応援団」を自覚し、地域の諸団体との連携を積極的に推進していくなかで、地域の活性化に大いに寄与しようとすること。さらには、和太鼓の文化を普及啓発、伝統文化としての継承をすることを目的とする。

☆会のキャッチフレーズ    『我等地域の応援団』

 「1.発足」の部分で、会の発足のきっかけは、地域の活性化の必要性を感じたことからである、と書いております。真実のところ、このことは不変です。だが、この言葉、「地域の活性化」という言葉は、実はとてもわかりにくい言葉であるとも思います。なんで太鼓を叩くのか、、、、そのことの意味付けが、スタートしてしばらくすると改めて問いたくなるものであります。みょうに気になってきたのです。いったい何をしているのだろうか、自分たちは。自分たちにとって、これはなんの意味があるのだろうか。という疑問が出てきて、このとき「地域の活性化」のため、という説明は、充分な説得力をもたないことがあるのです。

 意味付けとして、「太鼓が好きだから。」とか「太鼓が目いっぱいたたきたいから」と言う言葉が、より説明しやすいことのように写ります。それはそれでもちろんのことでありますが。

 会も、発足10年が過ぎるところでしたか、まさに、存在意義を問うような、気持ちの確認をするような動きが会員に出てきたと思います。そこで、我々の会は、道具は太鼓だ、これは音をだす、演奏というパフォーマンスを行える、この太鼓の持つ特性は、地域の様々な活動に入っていけるものであることから、まさに地域の人々の様々な活動に賑わいを手助けできるものであり、一生懸命地域で行事を展開しようとしている人々の、側面応援ができるではないか、これでこれまでじゅうぶん喜ばれてきたではないか、との整理ができてみて、そこから出たのが、「我等地域の応援団」という言葉でありました。

 でも、いまは改めて思うに、まだまだその言葉が十分に自分たちを説得してくれるものではないということです。こんどは、これまでほんとうに地域の応援団らしいことをしてきたであろうか、との疑問が湧いてきているところなのであります。

 ひとつの会の運営というのは、多くの人間のあつまりであり、その多くの人間、一人ひとりの思いを出来るだけ、汲んでいってこそ、一歩前への運営ができるのであります。が、時のメンバーが努力を惜しまず、その時その時を一生懸命に生きること、まずはそれが必要であります。

 その一方では、こういうことも考えることがあります。議論は大切であることはもちろんでありますが、議論半ばであっても、新たな挑戦のための行動を興すことにためらっていては、会は前へと進めないということを。出入り自由の任意団体であり、組織であるから、いつまでも盤石であるとはかぎらないと、会の存続のことばかりを慮り、これをやったら、メンバーはついてこないのではないか、これをやったら会員がこなくなるのではないか、というような思考回路では、泰然自若とした会とは言えなくなるということであります。

 でも、会員となるものには、みんなそれぞれに価値観をもっております。会員となる目的を底辺にもって動いているのです。この意味で、前向きな人間の集まり、集団として、みんなが納得の出来るような活動というものを常に模索しながら、進まなければならないと肝に命じているところであります。

 会の長きに及ぶ存続には、その過程で、原点を問う動きが周期的に起こってくるものです。そのときは、瞬間的な会の存続の危機といえます。そのときをうやむやにせず、きっちりとした対応をすることが、その危機を乗り越えらる方法であると認識しております。(戻る)

32.受賞

 さまざまな活動が町から高く評価され、カルスト草炎太鼓は平成14年秋、秋芳町からの『選奨状』をいただきました。団体としての受賞は、町の長い選奨状の歴史において、われわれが初めてだということであります。

 平成19年3月26日には、「美祢郡教育振興会会長表彰」、この他にも、「美祢地区防犯協議会会長表彰」、「山口県ふるさと作り県知事賞」など、これまでには多くの賞をいただいております。

 賞というものは、社会の中に我々団体がよりひろく周知され、存在感を与えられ、活動がいいものと評価されてきた証左であると、ほんとうにうれしく思っているところであります。(戻る)

33.太鼓村構想

 継承と発展を考える会の会長である和尚から、お寺の管理地である土地をわれわれの会へ提供を受けているところであります。

 15,000uもの広大な更地と、5,000uもの山林がそれであります。われわれは、これをどのように有効活用しようかともっか計画作成中といったところでありますが、ひとつには、太鼓村を思い描いているところであります。

 演奏会場となるようなステージ(野外ステージのようなもの)を中心に、イベント会場となるような諸施設設備、または、いくつかの体験工房、宿泊施設、駐車場、トイレ施設、等々、太鼓の演奏をメインにできるような基本的諸施設設備が、考えられるところでありますが、とにかく先立つもの(資金)がないのがわれわれの団体であります。

(この夢を叶えてくれる、強力な支援者があらわれないかな!)

 会をNPO法人化すると、資金が集めやすくなるのではないかという案も提案されています。任意の人の集まりに、財産をかかえることのたいへんさが乗り越えられるであろうかという懸念もあることも事実です。われわれは太鼓を通じた催し事をどんどん興したいと思うところでありますが、それには、すぐ近くに町民体育館とか、国際芸術村といった既存のいい施設がある、そこを使えばいいのではないかという意見もあります。平成19年度には20周年を迎えるまでに会は継続してきておりますが、こんごこれがさらに30年、40年と続いていけるか、そこは未定のことであります。物を持つということは、本体のひとのあつまりが強固で続けられるであろうということが必要条件なのです。なかなか踏ん切りがつかないで時間が過ぎていっております。夢を描いてそれを実現したいのではありますが。。。。。 

 われわれのこれまでの活動は、ことばのとおり、音と消えていっております。記憶には残っておりますが。ここらで、なにか物を残すという方向も考えられるのでは、考えるべきなのでは、思い切って行くべきなのでは、と思案には事欠きません。(戻る)

34.創造する力

 自分たちが住み、生活しているところ、、、行政という見えない境界線があります。どこかが、自分たちの住処とするところです。どこかが、、、そうです。どこかが自分たちの住処なのです。ということは、ここが、住処とするのであれば、いわゆる「住民」となるのであり、住民として、ここを、住みよいところとしようとひとりひとりの気持ちは焦点に合わされていかなければならないと思います。

 和太鼓というものは、創作活動であります。そして、住むところを良い方向に、という活動、すなわち「まちづくり」も創作活動であります。

 ひとは、だれもが、全部のものが、創造力があるかというと、なかなかあるものではないようです。若年、老年といわず、、、、これは、これまでの教育のあり方が、云々ということもあるかと思いますが、批判しようとする言葉をだすことが、創造力を出していることでは無いと思います。だが、世は、その様な性向にあります。

 私達は、和太鼓という創造活動で切磋琢磨することで、「まちづくり」への創造する力を担うことができれば、幸いであると思っているところです。 (戻る)

35.人財

 なんども言うようですが、地域づくりに必要なものは、”人財”です。でも、なぜ、これほどまでに、必要とされるのに、目立つほどに、ならないのか、、本当にいないのか、、出てこないのか、、、、いるのに気がつかないのか、、人財が必要だということは、理屈はそうだが、そこには、どうにもならないなにかがあるのでしょうか、、、

 地域特産物の創造、、、ということ。これなんかも、なぜ、作れないのか、、、。30数年間、まだ言われ続けている、、、。地域のおいしい料理、郷土料理、、として発信できるものがほしい、、、と。聞くこと随分前から、、、。まだいわれている、、、。なぜなのだろう、、、。

 ”よそ”では、”頑張っている”という事例を多く聞く。ここから、どれだけの人が視察に行っただろうか、、、。ここ30,40数年間、、、、、。いわゆる、成功事例として、語られるのは、偶然のものなのか、たまたま、周りから見ると、成功しているように見えるのか、、、、、、(戻る)

36.時代をふりかえれば、、、(世の流れというものは)

 戦後の荒廃した、物のない、貧しい状態にある国、そうした世の中にあって、必然性があったかのように打ち出された”所得倍増計画”。国民は、国の唱えるこのお題目を、是として、第2次産業の拡大へと、ひた走っていった。その過程では、田舎から、都会へと、働き手は吸引されていった。人びとは小金を持つようになった。消費社会、、、人はいろんな物を買うことができるようになった。。。。。だが、そこで振り返れば、田舎は、人手をとられ、人口減少、高齢化、年寄りが残されていった。。。また、人びとの考え方には、拝金主義が、深層に住むこととなった。また、結婚に関しても、”農家へ”という発想は、なにかしら敗者のような風潮が、蔓延していった。町に住む若い女性は、所得を得ていることで、結婚は、意識の中心からの居場所を無くし、、、世は、少子化という、現実に、とまどう、、、人口構成のいびつ化、、、に、なすすべも、、、

巷には、偽物の味でかためられた、食品があふれている、、、コンビニのむすびは、何日たっても、艶がよく、大手のパンは、わずかな小麦を、膨張剤で、何倍にも膨らまし、外国から、大量に輸入される穀物には、大量の殺虫剤で溺れており、、、、、、、等々の材料で、作られた、まやかしの食べ物が、大手スーパーで安く売られ、  日本人は、フアッションのように、買い物に、、、でかでか宣伝される物を食べることが、フアッションのように、、、食への、無関心、無意識は、食の乱れは、人間を体調を狂わし、、、、若者は、人生とはなにか、生きることを忘れ、我慢するとは何か、を気づかず、、、働くことを、忘れ、、、、、人を大事にすることを、忘れ、、、その事に、世は、人びと全体の意識改革は、180度の意識の方向転換、とは、いかず、、、

食は、四方八里で取れた物を食べようよ、、、そのために、農も頑張ろうよ、、、ひとは、防腐剤で固めなければならないようなところからでないと手に入らない物は、食べなくても良いでは、

コンビニ、缶コーヒー、パチンコ、、、、、、、、、、、、、そして、病院繁盛(病院を守る!?のではなく、、、医療が少なくて済むような意識改革。そのためには市民運動が、必要であり、、  それでも困っている人は、でるだろうから、でた場合は、手厚くしてあげようよ、、、)市内に多い、コンビニ、パチンコ、 自動販売機、、、、、、、、、、、これらは、市民ひとり一人の自分の生活に関心がない、生き方に関心がない結果なのか、、、

大手販売店の進出、、、、、、(地権者は、土地は、大手業者へは売らない、、、という自尊心を持とうよ)地元で、地元民による店舗、、、、、やっていけない、、、だから、空き店舗、、、、

大手業者の進出は、自治体で規制すべき、、、そうでないと地域の将来はない、、ということは、前から気づかされていた、、か、、、、外国資本は、偽物を、大量に作り、、日本人は、それをうかれて買い、、、、ひいては、日本の国からは、金がどんどん、外へと吸い取られていく、、、日本人は、ことの根本を見つめ直さなければならない。

「ガン患者率、、、を減らす」、、、、という政策をかかげると。・・・・・・それには、ひとのおかれる環境整備、教育にも、商業のあり方にも、農業の向き方にも、社会体制、社会制度、、、生き方の問題、、 等々すべてを見直し、沢山の施策と関連する。いいまちづくり、、、とも、深くつながる、、

そうした中、、、、、、文化って、何?生き方って何?を見つめ直す活動、、、、って言えないだろうか、、、ひとは、活動の中で、根本を問う運動も行っていかなければならない、、かと、、、。常に。人間は徐々に替わっていくから。自分の生き方、地域社会という人間の生き方という視点での共通理解が求められている、、、、、 (戻る)

37.サポーター

 我々は、多くのサポーターに囲まれております。数えたことはありませんが。地域活性化を標榜して活動しているのだということが、地域の人びとから、受け入れられていると、そうしたように思える空気を感じます。小中学校での貴重な学校でのタイムスケジュールに、受け入れられていただいてもおります。

 一方では、我々は、地域のサポーターである、という思いでもいるのです。人が元気になろうよ、空いている時間を地域のために、動いてみようよ、わいわいがやがやの輪の中に、入ってみようよ、そうすることが、自分をもつことであり、自分の時間をもつことだよ。

★サポーター  登録 お願いします!

   連絡は・・・・・・0837−62−1547  へ。(戻る)

38.これから

 平成19年度には、20年目を迎えます。発足時、会員は若者7名だったものが、現在、会員は小学生から60数歳の45名。ますます元気に活動している『カルスト草炎太鼓』だと思います。当初は秋吉地区からスタートしたものですが、いまでは秋芳町の名を背負って活動しているものと認識、自覚しております。

 これまでには、入会し都合で会を離れたものを含めると、会の活動に関わったものは、数えきれません。この方々には周辺でわれわれを強力に支援をしていただいております。

 そしてこれまでたくさんの多くの方々からの支えがあり、ここまで活動を行ってこれました。

 われわれはこれまでには、本当に大きな仕事をしてきた!と思っております。いち小さな任意の団体が。

 だが、それは既に過去のことでもあります。

 過去はこうだった、と言えることはたくさんあります。過去にはこうこうこれだけ頑張りました、ということに会史、会員史の歴史として重い意味があると思いますが、それはすでに過去のことであり、過去のことをいくら論じてもそれだけでは将来の絵はついてはきません。

 われわれには、いまのここ、現時点があるだけと、そして前を見て行かなければなりません。そして将来においての現時点を常に、気持ちを新たにし、前を見据えての活動を進めて行かなければならないと強く思っております。

 その意味で、常に緊張感が伴います。会員の入会を勧めること、後継者の育成、事業の展開のこと。休む間もなく、気持ちの充実を図りながら、切磋琢磨が求められております。

 我々は、これからも、さらに地域の賑わい、活性化のために一層の努力をしていかなければなりませんし、いこうと思っております。(戻る)

39.市町合併

 平成20年3月21日、秋芳町は、美祢市、美東町と合併してしまいました。秋芳町が、その歴史を閉じられてしまいました。合併にいたる道は、途中休止ということにもなるなど、混乱の歩みを辿っておりましたが、国の2回目の合併特例法が、できたことにより、再開、というふうに向かわざるをえなくなりました。わたしは、基本的には、「金はなくても楽しい我が家」が、どちらかというと望ましいのではないかと思ってきたものです。財政的にやっていけないかも、しれないから、、、、合併がやむなし!という空気が蔓延し、しかたないか!?とみんなが、流されていった。。。。。金が、、、が判断の根拠だった、、が、しかし、町というのは、わたし達の生活の場であり、そこには、感情の通うことがもとめられるのであり、その意味で、「金」が、まちづくりのすべてでは、ないはずだ、と思うのです。悔やまれてなりません。我々団体は、これまで、この秋芳町、この町を元気にしよう、賑わいを、、と、一生懸命に活動をしてきました。合併してから、見えてきたもの、こと、は、旧美祢市の「珍百景」。市民・・行政への不満たらたら、、一方で市民とは、別の方向を向いている行政。

40.ご声援を!

 以上、われわれのこれまでの歴史をかいつまんでお話してまいりました。

 なんども言っておりますように、われわれには常に現時点があるのみです。これまでのことは、過ぎ去ったこと。これまでの活動してきたという事実は、我々の精神的財産ではありますし、がんばってきたという事実でありますが、いまから、ここで出そうとする一歩にも、さらなる努力、今以上の努力が求められるのです。われわれに明確な海路があるわけではありません。それは苦労しながら会員みんなで考えていくことなのであります。あくまでも自由意志のもと集まっている任意の集団であるということではありますが、損得勘定ではなく同じようなこころざしをもち、結束は強いものがありますから、それを頼りに歩んでいけるものと思っております。

一方で、「カルスト草炎太鼓」は、単に会員個人の趣味だけに終わるものではなく、会員だけのものでももはやないのです。長い年月をかけて地域の人々の暖かい協力支援があってこそ作り上げられてきた地域の財産であるという認識もされていることを忘れてはならないと思っております。

それだけに会員はたいへんさにめげずに今以上に結束を強くし、さらに前進をしなければなりません。そして、地域の活性化を、ひとびとのこころに賑わいを、地域に賑わいの空気の創出を、という課題に向けてなお一層頑張ることが求められております。

 こんごとも皆様方の心からのご声援、ご支援、ご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。(戻る)

(文責:事務局

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 演奏する楽しみ!感動する楽しみ!計画する楽しみ!仲間づくり!地域づくり!まちづくり!自分づくり!

 などなど。。。盛りだくさんの会です。
 あなたの参加を待っています。

☆会員応募資格: もちろん老若男女を問いません。太鼓が好き、自分を目一杯発表したい、地域を盛り上げたい、仲間つくりがしたい、他には何の条件もありません。

☆練習場所: 秋芳町高齢者コミュニティーセンター
        (山口県秋芳町秋吉: 秋芳図書館、秋吉保育園の並びにあります。)

☆練習: 毎週日曜日、水曜日の午後8時から10時まで。
     (こども会員の練習時間は基本的には午後8時から9時まで。)

☆会費: おとな会員(20歳以上)月1,000円。子供会員は無料です。

☆会の規約: こちらをご覧下さい→
規約

☆こども送迎: 練習日などお家とコミュニティーセンター間の子供会員の送迎は、保護者の方でお願いします。

☆会の活動の足跡:  こちらをご覧下さい。→
これまでの活動 

☆今後の予定: こちらをご覧下さい。→
今後の演奏予定

☆連絡先: 秋吉公民館内 カルスト草炎太鼓事務局
         п@0837−62−1924
      または、管理人までメール下さい。→
B006ICN.GIF - 409BYTES  見学だけでもOKです!気軽に練習見に来てくださいね!

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